内陣、正面右手に進む。
内々陣の脇へ。
お戒壇巡りへ。
地下への入り口が開いている。
地下。
手すりがあり、降りられる。
既に暗そうな感じが漂ってるんだけど。
内陣最深部へ。
狭まい?
暗いのはわかってる。
どれくらい。
狭いの?
なにかコワい。
手すりを離すと、壁が頼りに変わる。
右手指の壁への感触だけがミチシルベ。
降りて行くと光が減って行く。
子供も怯えぎみ。
全くない見えない世界へ。
闇のアトラクション。
仏教体験。
地味ながら未知の恐怖が、
面白い。
ディズニーランドで、スペースマウンテンがスタートダッシュして、闇に向かって行くまでの一瞬の見えない不安までは同じ。
違うのは、そこから一気に星空が広がらない。
只々、暗闇が続く。
え〜。
見えない。
や、やばくない?
面白さは無くなってくる。
子供らついて来られるかな。
全くなにも見えない世界。
前も後ろも。
左右も。
自分の眼以外の感覚のみ。
全て失った気がする。
落ち着け。
足の裏には床がある。
手の指先には壁がある。
進まなきゃ。
入り口から壁伝いに降りて行き、ご本尊三尊仏の真下へと向かう。
真下の回廊には、ご本尊との繋がる為の、
お戒壇巡りのキーワードがある。
「極楽のお錠前」
闇の中に、お錠前、じょうまえ?
錠前なので、扉とかが簡単に開かなくする為の鍵?
どんな形なのか?
大きさなのだろうか?
このキー。
鍵?
錠。
キーワード。
極楽のお錠前。
この闇の中でお錠前に触れると、
何と、極楽浄土が約束される。
極楽浄土の扉が開かられるまさしくカギなのだ。
亡くなった時には、阿弥陀様のお住まいに迎えて頂けるとなるとホントありがたい。
先に希望があると、現世の辛さも我慢できる。
内陣の欄間で二十五菩薩の来迎され、お戒壇巡りで、将来の極楽浄土が約束さらるとなれば、できるなら触りたい。
阿弥陀さま、
観世音菩薩さま、
勢至菩薩さま、
浄土でも繋がれますようにとは最初思ったが、
全く見えないとすぐに余裕がなくなり、
ぶつかりそうな妄想のみが頭を巡る。
暗闇を進むのに、梁(はり)に頭が打ちそうな感じがして、うつむき加減。
段々と膝が曲がってしゃがみ込む。
いやいや、落ち着け。
普通に考えて、みんなが楽しめるアトラクションだぞ。
頭をぶつけるような梁(はり)などあるわけないだろう。
ちゃんと立ちましょう。
歩きましょう。
自分に言い聞かせる。
目のありがたみ。
目が見えるありがたみ。
忘れてはいけないありがたみが湧いてくる。
目の前が全く見えなくなった記憶も湧いてきた。
日常、街に暮らしていると暗い感じはあっても闇まではない。
日本だと、どこかに光は漏れている。
夜中でも何かしら見える。
30年頃前、私が大阪に住んでいたころは、闇といえば社会にしかなかった。
深夜でも街はバブルで光輝いていた。
そんな時代に、闇夜を求めてよく奈良県の南端の紀伊山地の十津川まで、温泉行ったりキャンプにと下手すると東京出張より遥かに時間が掛かるのに、わざわざとよく遊びに行った。
何か神々しいから。
神々しさのひとつが闇夜だ。
月の無い夜は、懐中電灯を消すと、目を開けているのに全く何も見えなくなった。
ほんとそこ、30センチ先も見えない。
こんなことは普段まずない。
一歩先が何にも見えないなんて。
懐中電灯を消してみると。
わぉ〜。
見えない。
屋外で全く見えない。
闇とはこのこと?
手を伸ばすが何も当たらない。
進め。
手探りで歩く。
恐怖。
紀伊山地は山深く、一寸先は崖かもしれない。
山中の恐怖。
一歩進むも超ビビる。
こりゃ怖いが、不思議体験が面白かった。
ので、翌年も行った。
今度はカブトムシ取りしながら、懐中電灯を消すと、月の明かりで周りがよく見えた。
街にいると月の明かりは明るいと思ってなかった。街灯に消されていた。
お月様ってこんなに明るかったんだ。
と、二十歳も過ぎて思った。
山間部で住んでいる人などからすると笑われるかもしれないが、
月の明かりに感動した。
この神々しさのなんとも言えない気分に会うため、紀伊山地によく行った。
ここは、大丈夫だよ。
善光寺。
信じろ。
崖はない。
進め。
頭をぶつける枝はあるわけないだろ。
自分の妄念に負けるな。
強い意識で歩け。
自分は歩けると無意識に信じているから普段歩けてるんだ。
大丈夫と信じろ。
やっぱ、何するにも信じるしかないよな。
なまんだぶ・・。
なみあみぶだぶつ、なみあみ、
不思議と心で唱える。
少し落ち着く。
信じて前に進める。
進める。
生まれる時や死ぬ時もこんな感じなのだろうか?
闇の中は指先だのみ。
廊下が右手に曲がる。
だいぶ進んでこれた。
今更引き返す気にはなれない。
進むぞ。進め。
ちょっと慣れてきたかな。
パニックはない。
進め。
進め。
歩けるんだ。
歩けてる。
息が詰まるような圧迫感が続くが進める。
闇の中。
前から、
白い霧みたいな。
薄ら明るい?
あ、出口だ。
はぁ〜。
明るいと余裕が出てくる。
大股で歩ける。
今まで緊張していたことがよくわかる。
妻も子供らも出てきた。
安堵の顔だ。
あぁ〜よかったよかった。
みんな出て来られて。
無事でよかった。
ほんの数分で、日頃見ない安堵の笑顔だ。
よかったよかった。
何がよかったか?
とにかくよかった。
現世に戻れた。
お戒壇巡り。
胎内めぐりとも。
生まれ変わりとも。
お錠前どこにあったんだろうか?
触れなかったな。
当分、現世での修行は続きそうだ。
まだまだ生きろということか。
頑張るよ。
観音様これからもお願いします。
坂東三十三ヶ寺の御朱印帳の最後に善光寺の御朱印もいただきお礼参りもこれで完了。
善光寺は、また来たい。
今度は、極楽浄土の約束がもらえるかな。
善光寺に次回来ることができるなら、宿坊に泊まりお朝事にも参列したい。御開帳の時や西国三十三ヶ寺のお礼参りでもまた来たいな。
観音巡礼はよく旅の楽しさを考えられてる。
善光寺が最後に持ってくるは演出かな。
巡礼楽しいね。
観音さまありがとうございました。
私は、まだまだ西国巡礼と続きます。
西国第三十番札所。
法厳寺へ。
信州善光寺からめちゃ離れた所ではあるが、琵琶湖に続くルートに共通点があり。
善光寺参道でもある北国街道。
もう一つ別の場所にも北国街道がある。
同じ名称だからややこしい。
それが、福井県の今庄と滋賀県近江を結ぶ街道も北国街道と呼ばれる。
二つの北国街道がある。
次回の琵琶湖に浮かぶ竹生島法厳寺は、滋賀県の北国街道から船で向かう。
北国街道と北国街道。
その間を結ぶのが北陸街道。
この地味なルートの旅へ。
まずは、北国街道から父の墓がある能登へと墓参り向かってから西国に向かう。
旅はつづく。