三十三観音巡礼  非公式サイト(煩悩充実日記)

充笹の営業、経営、教育、健康、恋愛、愛情、旅、グルメ、神社、朱印帳、温泉、いいこと一杯!観音様の慈悲へ感謝の実記録

【0050】出流山満願寺番外編 真言宗智山派への旅

5:40ロビー集合。

 

閑散とした中、ロビーに向かう。流石に眠たい。遅れないようにと意識すると、グッスリ眠るとまではいかなかった。うとうとした感じで 目覚ましなしで起きた。

パラパラと人が集まり出す。

知らないものどうしなので、微妙な距離感で僧侶がこられるのを待つ。

このな早朝に、ものづきな人がいるもんだと、自分を棚に上げて思う。

この辺が宗教の秘められたパワーかな。

朝のお勤めを体験してみたいのか。

朝からそんなくだらないことは、到底聞ける雰囲気ではない。

あ、案内係の方かな、オレンジの袈裟で現れ、これから始まるツアー感でワクワク。

長谷川等伯親子の障壁画が楽しみに参加しているのだが、仏教ファンとしてはご本尊に会えるのもこれまた楽しみ。

寺社のメインとなるご本尊は、必ずといって御朱印にも書かれる。ということで、総本山智積院は、真言密教の本拠地でありますので、やはりセンターは、大日如来でしょう。

御朱印にもドドーンと大日如来と墨が輝く。

真言宗では、やはり大日如来は外せません。

空海は、密教の極意を習得。

授けられ

日本に持ち帰ったきて

真言密教

本物がここにある。

その中心的な仏様が大日如来

数ある如来の中の如来

このブログのメインは観音巡礼。

観音さまは、如来までの悟りを開く一歩手前の菩薩さま。後もう少しでワンランクアップで如来になられるとてつもなく偉い方ですが、如来様はすでに悟りを開かれた方でその上を歩む。

菩薩さまを超える悟りを開かれたブッダ

お釈迦さま)は、釈迦如来阿弥陀如来薬師如来などなどの格ある如来さまのひとり、大日如来さまは、これら如来さまにおいても様々な大宇宙も含めて真ん中に鎮座する。

密教のアイドルだとすれば、センターに位置されるのが大日如来

どれだけ凄いのか私には本当の実力は掴めない。

その凄すぎる存在が、我々には遠く思わせる大日如来の化身が、不動明王の姿となって我々の前に現れ、憤怒の凄い形相で煩悩を断ち切ってくれる。

大日如来を、大切にしている真言宗といえば不動明王も外せません。

お釈迦さま、ブッダ釈尊に始まる仏教は、菩薩や明王を従え悟り、さらに悟られた如来の中の如来をつくり、強大な仏の世界を広げてきた大乗仏教がインド→中国シナ→日本と伝わり

今日は、この極東の智積院にて仏像を目の前にして朝の読経を聞ける。

テーマパークではなくて、本物の仏教を体験しに京都にきている。

世界中から訪れても不思議ではない。 真言宗智山派 総本山
真言宗十八本山巡拝霊場
近畿三十六不動霊場 第二十番
京都十三仏霊場 第一番
神仏霊場 京都 第四十番

どこにおいても、格調高い仏さま扱いである。

この熱い格式ある仏像に会いに、5:40静かにスタートする。

僧侶のオレンジ色の袈裟が雰囲気をあげる。コスプレではなく本物である。

僧侶を先頭に、ゾロゾロと15名位だろうかついていく。

金堂に向かっている。

わりと新しい金堂。

正面の扁額(へんがく)に智積院とかっこよくかかげららていて、その下の奥に暗い中にご本尊が佇む。

側までいくとでかい。

僧侶に連れられて中にはいる。

金堂内部は、黄金に仏様が包まれていて、そんじやそこらの仏壇ではない。

絢爛豪華。

その前に案内され僧侶のお勤めを待つ。

何名だろうか?

観覧者と同じ数以上の僧侶が、仏壇を囲むように並ぶ。

太鼓の前にも人が待ち。

読経の合図を待つ。

リーダー格の方が、リードして読み上げる経が響き渡る。

はじまった。

リーダーに、太鼓でリズム🎵とお経にスピード感がます。

一斉に若い僧侶が本気で読み上げる経が広い館内に響き渡る。

ガンガンに叫ぶように、読まれる経は大迫力で圧倒される。

葬式の地味なレベルではない。

壮大に響き渡る中、大日如来を見るとその佇まいがオーラに包まれたように見える。

いや〜。

現実世界なのかわからない。

眠い中、朝起きてゴニョゴニョしている時間帯に絶叫である。それも若い男子が声を揃えて大合唱である。

金堂の高い天井から部屋の隅々にまで響き渡る。

日常の朝は、通勤の満員電車が現実世界。

同じ時間で、同じ日本で、こんなことが毎日行われて、千年超えて祈られてるのだろうか。

非現実のようで、現実にいま目の前で行われている。

明日の朝も変わらず行われているのだろう。

凄いな。

不思議な世界観に浸る。

そして、ひと段落して不動明王が鎮座する明王殿へと案内される。

根来寺から伝わる不動明王が祀られる。

不動明王といえば、護摩

早朝ツアーはつづく。

【0049】出流山満願寺番外編 真言宗智山派への旅

京都七条通りをまっすぐ東に進むと、智積院に突き当たる。突き当たりの三叉路の前に佇む智積院の立派な門は静かに閉ざされていて、門の右手下の看板に、総本山智積院の名称、桃山の美、国宝、長谷川等伯「桜楓図」、名勝庭園「利休好みの庭」と今回の目的がコンパクトに纏められていて、 宿坊拝観→右手へと促される。

京都の道路はバスにタクシーにとガチャガチャとひしめき合っている。

正面の門を右手にすすむと、車も入れる大きく開かれた入り口があり、左手に総合受付、右手先の小高い所に智積院会館が見える。

 今日の宿泊先。

入り口に入ってからは別世界。他の京都の寺院と変わらず、静けきったひろびろとした緑の中に伽藍が贅沢に佇んだいる。

この美しさは、ザ・京都。

この贅沢な敷地は、並のホテルでは見当たらない。檀信徒でもないが、どなた様でもご宿泊いただけますとの案内が心の頼りに坂を歩む。

京都のどこに泊まってもいいのだが、長谷川等伯の傑作が揃っているのは智積院のみ。せっかくなので宿泊してゆくっりと鑑賞したい。他では味わえない宿泊者限定の特別拝観がついて来る。 朝から僧侶の方のガイド付きで、長谷川等伯一門、国宝障壁画のご案内などスペシャルな企画は特筆もの。

更に、早朝の僧侶の読経にも参列できる。

但し、

ロビーに5:40に集合。

罰ゲームではない。

ありがたい朝のお勤めだ。

健康にいい。

その後には、朝食が精進料理で非日常体験が目白押し。

たまたま、コロナ禍でワクチン接種の証明書出すと割引で泊まれ、一泊一万円もしない格安価格。この時は外国人も少なくとても静か。静寂の京都。

なんという恵まれたタイミング。

観音様ありがとう。

 

智積院会館のロビーに到着。

これ宿坊?

どっからどう見てもホテルだよ。

建て直してすぐなだけあって、

めちゃ綺麗。

若いお坊さんが受付してくれちょっとしたホテルマン。

通常、宿坊なら民宿以下、もちろん旅館には届かない。それが、ビジネスホテルとしても、アパホテルより広くて品がある。

ただ、ロビーに置かれているイベントのチラシが真言宗の案内とはカッコイイ。

そこは、かろうじて宿坊。

案内されたのは、ツインルーム。

今時の超洗練されたビジネスホテル。
バスとトイレがセットになった狭いビジネスホテルではない。独立しており広々。

快適なベット。

畳の民宿感はなし。新しいので気持ちいい。

とうとう、真言宗もホテル産業に進出かと思わせる。大浴場も備えてあり、伊豆石の浴槽が貸切常態。私一人でサブン、これホンマにいいの?あ〜気持ちいい。

最早、宿坊ではないよ。

朝のお勤めのコースが、唯一といって宿坊を保っている。35話から41話まで、長谷川等伯能登半島から七尾を旅立ち、絵師として京都に上る人生と観音巡礼を重ね合わせて、巡ってきました。

今回は、観音巡礼より長谷川等伯の旅の終着地京都。

長谷川一派が、人生をかけた絵画が京都智積院に残る。

次回、朝のお勤めから。

タイマーを5:20にセット。

続く。

 

 

【0048】出流山満願寺番外編 真言宗智山派への旅 

満願寺は、真言宗で智山派。

真言宗と言えば、遡れば弘法大師空海に辿り着く。

奈良時代の南都仏教から平安時代に入り、日本仏教界に二代スーパースターが誕生する。

最澄空海

最澄は、滋賀県比叡山延暦寺

空海は、和歌山県高野山金剛峯寺

そこは、日本仏教の本拠地で聖地であり1200年経っても健在。

日本仏教界の両巨塔の寺院郡は、残念ながら三十三観音霊場リストには入ってはいない。しかし、影響力は大きく、比叡山高野山で修行された高僧が各地の寺院に赴き、三十三観音霊場に登録されている寺院も多数。

私は、みんなお寺と、ひとくくりに雑に見ていましたし、空海最澄が凄い人と言われても教科書のレベルの知識で…それ以上でもなくそれ以下でもない。どれだけ凄いのか、影響力があったかまで体感できなかったが、観音霊場を周りだし、空海真言宗系列の寺院、最澄天台宗系列と日本各地にあるのには驚かされる。

満願寺は、関東平野を見渡す坂東三十三ヶ寺で栃木県にあり、歴史はもっと古いので、真言宗で上塗りしたのだろう。

日本中席巻していた感があり。

西国から離れて、関東を周ると当時は新幹線もないだろうに、各宗派が全国に広がっているのを感じとれる。当時から寺を巡る巡礼らしきものはあったのだろう。

仏教は広く深く日本に根付いている。

西国三十三ヶ寺の各宗派で、唱えるお経など異なるように、観音巡礼始めた頃は見えなかった各寺院の機微の差に、教えの表現など特徴が見えてくる。

知らず知らずに、門前の小僧が経を詠む感じに知識が増える。

大概、開祖と名がつく人は、伝説となって今だに崇め祭ららている。その後は得てして開祖の凄さを越える人はなかなか現れては来ない。

リーダーシップ低減の法則に当てはまる。当たり前とえば当たり前か、確かに、空海みたいに誰ができるねん。

毎年恒例に、スーパースター誕生には無理がある。

開祖が亡くなると(空海は未だ生きていると言われるが)、年々、開祖のパワーも薄れていきお家騒動が起きてくる。組織が大きくなればなるほど色んな怪しい人も入ってくる。権力に溺れ、荒れ果て、機微の違いで喧嘩する。ここまでは仏教といえどもどこの組織とも変わらない。しかし、スタートの植えた種がいいのか、また、そこから開祖の教えが蘇り、救世主となり引き継ぐものが生まれてくる。

満願寺から真言宗で遡り、宗派を辿っていくと京都、智積院(ちしゃくいん)にもたどり着く。

智積院の歴史から、覚鑁上人(かくばん)に突き当たる。後々に興教大師(こうぎょうだい)の諡号を与えられる程の偉い僧侶。

真言宗を復活させた中興の祖。

新しいことをするには、正しかろうが何事も旧勢力から対抗されるのはいつの時代もお決まりごと。

高野山金剛峯寺を立て直そうと決意。

旧勢力と対立が激化。

覚鑁は、高野山を下り根来寺へ。

親分に子分がついていき、弟子が新義真言宗へ。

この新義真言宗はやがて大和長谷寺を中心とした豊山派と、京都の智積院を中心とした智山派とに分かれる。今回は、その中で、満願寺も属する智山派の総本山に行くことの機会を得た。

京都市東山七条。

智積院(ちしゃくいん)

高野山和歌山県根来寺の数ある塔頭のひとつ(教学・教育などの学事を統轄する僧侶の役職がいた寺)→根来寺焼き討ち→避難京都へ。

智積院として。

智積院が京都にあるのは、豊臣秀吉紀州攻めに抗参戦して、徹底的に根来寺が燃され壊滅させられた影響、その後、 豊臣秀吉が建てた祥雲禅寺(しょううんぜんじ)最初の息子である鶴松の冥福を祈って建立する。今度は、豊臣家が滅び、徳川家が実権をとり庇護の元、京都でこの寺ごと智積院に寄進される。

激動の戦国の世。

今では、真言宗智山派の3000余の総本山。

京都に東山を背景に七条に構える姿は、塀の中に入るとわかるがこれぞ総本山の佇まい。

空海真言宗といえども、開祖の教えの解釈や時代の流れもあり分派して、それぞれが本山となってご立派になられている。

京都市街は、北から、地図上の上部から一条、二条、三条、四条通十条通と東西に通りが走っている。

碁盤の目のように道が直角に交差する条坊制なので、立ち位置がわかりやすい。

北と東と西の山に囲まれて、南に地図上では、下に川が抜けて広がる。

JR京都駅が

七条と八条の間位か?

JR京都駅の正面玄関をでると七条・・・ここは、さすがお寺が多い。

東本願寺西本願寺など。京都の表玄関的通り。この通り七条の東端へ向かうと、国立博物館三十三間堂があり、東山を背景に智積院に突き当たる。

今回は、関東からいつも私に教養を授けてくれる先生が、京都観光されるので、その日に合わせて休暇をとり食事もしながらとなるので、日帰りもできるが一泊することにした。

そのために、智積院に向かっている。

宿泊と智積院は関係なさそうで、実は智積院に泊まれるのである。

これは貴重な体験できるのである。

智積院は、宿坊を備えている。

京都で初のワクワク宿坊体験へ。

この内容が、超魅力的。

次回へ続く。

【0047】勝道上人の生まれと流山満願寺坂東三十三観音第十七番札所

日光からの勝道上人の伝説と栃木県の観音巡りへ。

 

坂東三十三観音第十七番札所

出流山 満願寺

読みにくいが、

出流山。

いづるさん。

車で山を登る。

 

北関東自動車道 佐野田沼ICからそこそこ40分ぐらいは掛かるかな。

高速道路を降りて、町を抜け、田畑もそこそこにすぐ山間に入り込む。何気に進んでいくと、ちょっとびっくりするかも。

満願寺まで見たことのない世界が広がってくる。

予想してないぞ。

 

真っ白な山肌が見えてくる。

この世ではない。

山中で、雪でもないのに景色が真っ白。

 

これだけ真っ白だと怖い。

 

なんだかすさんだ景色になる。

石灰鉱山の工場が並び、

荒廃感が凄い。

 

石灰の真っ白さがホント異様だ。

恐ろしさにも感じる。

 

この道順で合ってんのかと思う。

 

火薬で爆破して石灰の岩を粉々にしてるのか?

周りの草木も白い。

 

誰もいない安全な場所での爆破シーン。

仮面ライダーの世界。

ショッカー達が、次々と背面の爆破で倒れてる姿が浮かぶ。

戦いと火薬の撮影にはもってこい。

ゴレンジャーの光景だ。

観光地にしてもええんと違う?ってぐらい珍しいかも。

 

石灰鉱山地帯を抜けると今度は、またトリップが仕掛けられている。

 

こんな山奥に何軒も蕎麦屋さんが現れる。

 

蕎麦、そば、ソバ。

 

蕎麦屋の看板が呼び寄せる。

元祖手打ち蕎麦

いづるや。

元祖に負けた。

トラップに掛り、暖簾をくぐる。

 

満願寺の門前で蕎麦に捕まる。

 

店に入ると満席で、蕎麦を啜る姿が美味そうだ。


厳選した地元の玄そば(殻つき黒いそば)を自家製粉とのこと。

薪を使ってゆであげる。

「挽きたて、打ちたて、ゆでたての三立て」
寒晒し蕎麦

腕で輪を囲む位な大ざるに五合。

これも珍しいな。

家族でペロリ。

美味い。

子供もモグモグ。

ズルズル。

「いづる名水」といわれる満願寺の滝から流れ出る湧水。こんな石灰をくぐり抜けた湧水は美味いに決まっている。

しかし、栃木県の蕎麦は、何処も美味いんだよな。

脇道に逸れて進まない。 

 

食べ終わり。

やっとのことで山門。

仁王門にたどり着く。

ここからが本番、山門を潜ると満願寺だ。

 

満願寺のホームページより、

真言宗智山派 出流山満願寺は、弘法大師御作の千手観音菩薩をご本尊とする坂東三十三観音第十七番札所です。今から千二百余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、天平神護元年(765年)日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山されました。この「観音の霊窟」には鍾乳石によって自然にできた十一面観音像があります。〜

 

出てきました。役小角(えんのおずぬ)。

洞窟や山岳では、必ずと言って出てくる。

修験道の開祖。

私の本拠地と言ってもいい奈良の紀伊山地、ここは大好きな天河大弁財天社大峯山龍泉寺など、その他多くの修験道霊場は、役小角が開祖と言われる。

奈良の葛城山、吉野などなど山を駆け巡った修験道の伝説の人だな。

日本の信仰の根底には、まだまだこの山岳信仰のスーパースターの思想が未だに脈々と流れいて後で追いたいとも思う。

流石、修験道のスーパースターだけあって、一国を怯えさす力と人気があったのだろうか、民衆を怪しい教えで惑わすと、伊豆へ流罪にもなっていて、富士山も駆け巡ったと言われる。

伝説はココ、栃木の佐野市から栃木市の山奥の中の山奥の鍾乳洞にも轟いているのか。

東京からでも2時間位は車で掛かるこの山の中でも伝説が残る。

山岳信仰、呪術、密教、このワードから満願寺はすごそうに感じる。

 

満願寺のホームページより

下野の国司(今の県知事)の高藤介の妻が子宝に恵まれず、この「観音の霊窟」で子宝を得ることができるということを聞いて21日間「観音の霊窟」に籠り、翌天平七年に男の子を授かりました。この子がのちの勝道上人です。

 

役小角が発見した鍾乳洞の観音様。

日光山岳信仰の開祖勝道上人が、両親のお祈りで生まれるわけだ。

 

以来、当山の奥之院にお祀りされている鍾乳洞で自然にできた「十一面観音菩薩」は子授け、安産、子育てのご利益があると信仰されています。〜とのこと。効き目は抜群そう。

 

自然崇拝も交わって、山岳信仰は大好きな私ですが、修行は残念ながら苦手なので^_^、坂東三十三観音第十七番札所の奥野院はハードな道のり。満願寺の本堂から奥にある山道より約1km歩いたところに、大悲の滝があり見どころ。素敵な滝に打たれるのはいいが、ハイキングレベルで登らされキツイ〜。苦手な修行をナチュラルに導かれ修験道に。

この段階でヘトヘト。

滝の飛沫だけ浴びて、マイナスイオンに包まれ、

あ〜涼しい。

ゆるい滝行で癒す。

奥之院へは、大悲の滝からまだ石段を登ること百余段。

そこでやっと奥之院の拝殿に入ります。

 

奥野院高いところにあるな〜。

 

見上げる。

 

崖だよ。

京都清水寺みたいに、格子状に組まれた足場の上に真っ赤な伽藍が見える。

ここの階段を登るのか。

 

まずは、休憩。

 

役小角は、本当に来たのかな?

いつも役小角並みに、子供たちは崖を駆け上る。

弱ってるお父さんの到着待ち。

手を振っている。

 

この拝殿が鍾乳洞の入口になっており、中に鍾乳石で、自然に出来た十一面観世音菩薩の後ろ姿のご尊像が拝されています。

 

坂東三十三観音第十七番札所 流山満願寺奥の院まで無事汗だくになり登頂。

達成感。

なんとかこれた。

 

役小角×勝道上人

山岳信仰のスーパースターの競演。

そして、本堂は仏教界のスーパースター弘法大師空海がご本尊千手観音彫っていて、これが坂東三十三の観音様。

観音様の前で、手を合わせて日頃の助太刀に感謝。

 

寺伝は、伝説の修行僧で溢れかえる。

 

護摩も焚いて、

秘密の呪文を唱えたら効き目抜群だろうな。

御朱印もパワーあり。

 

でも、なんか不思議。

新幹線も飛行機もない時代に、仏教地図から見ると関西と関東が意外と近い。例え伝説だとしても信仰の情報が届いていたということ。

栃木県にも熱い観音信仰が、1200年も前から繋がっているのかも思うと不思議な気分。

日本中に観音信仰が行き渡っているのだなぁと改めて思う。

それも奈良時代、平安にかけても山岳信仰空海真言宗など交流が盛んなんだな。

関西に住んでいて、栃木県って?

どこ?って感じだったのが、山岳信仰や仏さまや神様では、まったく距離感がない。

空でも飛んでいたのかと思ってしまう。

奈良時代とか移動はどうしていたんだろうか。

野宿に?寺で宿泊?

満願寺から麓の坂東平野から京都までどうしていたんだろうか。

 

三十三観音霊場から横道にそれるが、2022年07年に、京都に知人と会う機会が訪れ、真言宗智山派満願寺と同じ宗派の総本山に泊まれることに。

京都真言宗智山派 智積院へ今時の宿坊体験できることになった。

坂東から一気に京都へ。

 

番外編、真言密教へつづく。

【0046】第18番 日光山 中禅寺(立木観音)

日光男体山の観音薙で大規模な崩壊及び土石流が発生して、立木観音堂二荒山神社、小学校が被災した。

この時、明治35年(1902)。

男体山からの山津波により中禅寺境内全体が中禅寺湖に押し出された。

 

中禅寺の本尊が…。

 

桂の木で勝道上人彫られたと言われのある十一面千手観音菩薩像が、中禅寺湖に沈む。

しかし、

その後、

なんと無事な状態で、

湖底から引き上げられた。

 

「念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)」

 

雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散 


雷が鳴り響き大雨や雹が降っても、観音力を念ずれば、時に応じて消散する。

 

或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能

 

或いは巨海に漂流して、龍や魚や諸鬼の難あっても、彼の観音力を念じれば、波浪に没すること能わず。

 

まさしく、観音経の実態が立木観音にはある。

 

ねんぴー

かんのんりき

 

観音様が自ら中禅寺湖で効力を見せてくれる。

歌が浜に引き揚げられた奇跡。

 

現在は、打ち上げられたところに、中禅寺が再興され、観音様が、今は我々の苦難のこころに勇気を与え見守ってくれる。

 

阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)に発生した兵庫県南部地震により発生した。

この年より、私が観音霊場を巡るようになった年だ。その時は、大阪に住んでいても地鳴りと縦揺れが起きた。その時の恐怖は、私の中では過去の地震ではNo. 1だ。縦揺れの凄さも初めて体験した。

 

2007年から関東引越し、2009年に、坂東三十三観音霊場を巡り始めた。

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒に東日本大震災が発生。

その時は、東京千代田区で仕事していて目の前に、事務所の天井の板が落ちてきた。

横揺れが凄まじく、ボルトで締めた書類入れも倒れ、立っていられないぐらいの揺れだった。

 

転勤で福岡、2015年(平成27年)6月28年より九州三十三観音霊場を巡り始める。

2016年4月14日21時26分以降に熊本県大分県で相次いで発生する。熊本地震だ。4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生。

福岡だったので、揺れはしたが前の阪神、東日本と経験からすると、熊本の直下でもないので慌てるほどではなかった。それでも怖いぐらい揺れ、余震半端ない。

 

微妙に、震源より離れて助かってはいる。

何気ない日常が一番ありがたいのかも。

毎回、気づかされる。

 

こんな時、ガス〆、机の下、ヘルメット、そんな余裕はない。

何できるって、南無阿弥陀

南無、ぁあ

観世音菩薩。

唱えれたらいい程度。

焦ると何もできない。

 

でも、それが

観音(かんのん♪)と唱えるだけで、

不思議と、

安堵感が脳の隙間に生まれる。

 

ねんぴー

かんのんりきを、

唱えるだけ。

 

パニックを抑え、直感が冴え、ひらめきが生まれる。

 

東日本大震災の時も、

揺れが少し収まった中で、事務所下のコンビニで水、おやつなどなど買って、20人ぐらいに食べさて落ち着かせ。

その後は、コンビニは空っぽ状態に。

交通網は遮断。

事務所の書類入れの段ボール広げて、

寝袋を作り、

段ボールの暖かさを使い帰宅難民対策。

 

相変わらず、電話は、携帯は一行につながらず。

こんな時でも国営ならではのつながる裏技を思い出し、電話で家族の安否の確認までできる。

ひと通り段取りして、ニュース待ち。

 

電車諦めて夕方から一部徒歩で帰宅する人も。

 

私は、まだ様子を見た方がいいと判断して待機。

そしたら待ってましたと、半蔵門線一部開通、東西線も一部開通と一報が入る。

ちょうどそこまで動けば自宅だ。

震災当日に地下鉄で帰れることに。

不思議なことに、普段より空いていて座席にゆっくり腰掛ける。

神懸っている。

ちょっと待つか、行くか、買うかなどなど判断が、直観が冴え渡る。

自分の判断か、神様仏様からの案内か、未だにわからないが、どうも自分だけではない気がする。

観音様なのだろうか?

 

阪神、東日本、熊本と徐々に観音様が心の奥に入っていることを感じる。

ピンチ、自分の能力だけでは防ぎようのないとき、心の中に現れる。

観音経は、表面的な災害の助けを描いてあるが、本来の念彼観音力は心の中に現れて回りを変えてくれているのではないか?思考が現実化するのか、本当のところ観音様かなにかよくわからないが、不思議な一体化感覚が生まれ、感謝の念に。

 

立木観音

秘仏ではなく、我々の前に現れていただけるありがたい仏像、菩薩様である。

お寺の方もらお守りの功徳を力説。販売にも熱心で買わずにはいられない。

 

実際の観音様を目の前にすると、

でかい。

顔を拝ませていただくと圧倒される。

千手がこちらを向いている。

 

ねんぴー

観音力に圧倒される。

 

いざという時には、間違いなく救ってくれたのはこれかもしれないと思わせる姿。

何気ない日常から見守っていてくれているのかもしれない。

関東で、こんな大きな観音様をお堂の中で観れるところは数少ない。

観音力が分かりやすく感じる。

ありがたい。

日光一帯のパワー、霊気を感じたい中禅寺立木観音さまだ。

念入りにお参りして、薄暗いお堂の中から出ると、明るい空が広がり、美しい水面の中禅寺湖畔がキラキラ鏡のように広がる。その前には、富士のよう男体山が伸びやかに立ち誇る。

中禅寺からの景色は、

めちゃくちゃ綺麗。

まさしく、観音浄土の補陀落山

人の手をここまでいれるかの装飾美の東照宮とは又違った、人の手が全く受け付けない日光の美しい姿がある。

勝道上人がご覧になっていた日光の景色と変わらないものが見えているかも。

中禅寺からの景色は、おすすめです。

 

まだまだ、華厳の滝など見どころだらけの日光ですが、ひとつだけ、和菓子屋さんで補陀洛本舗 本店が 、日光田母沢御用邸記念公園の近くにある。

名前が観音様にちなんで補陀落と素敵なので、和菓子を買いに入ったのですが、ゆばむすびが美味しい。日光の湯葉を手軽に楽しめます。

キリがないのでこの辺に。

 

引き続き、勝道上人が関わる栃木県、旧名下野国の観音霊場をめぐって行きます。

 

つづく。

 

【0045】聖地日光と勝道上人

宇都宮の自宅から、車で日光街道輪王寺東照宮二荒山神社いろは坂華厳の滝中禅寺湖と祈りのルートを進めば、坂東三十三観音霊場 第18番 日光山 中禅寺(立木観音)に辿り着く。

日光は、流石に日本を代表できる第一級の観光地と言われるだけあり。見どころがありすぎて、一日ではもったいない。

アクティブになら、キャンプ、スポーツでカヌーなどなど。

観戦で冬ならホッケーのアイスバックス。

日光や那須の山系の川は、水も超きれい。

雪解け水が夏でも驚くほど冷たい。

イワナ釣りは最高。

ハイキングに登山。

JR、東武日光駅から、グルメ街道が、ゆばに蕎麦、ようかん、せんべい、漬物などなど山の幸。カフェでは日光天然氷のかき氷は超フワフワ。

せめて二泊はしたいかな。

有名どころの歴史ある金谷ホテルもある。

新しく高級なところでは、ザ•リッリカールトン日光も。

 

日光観光のなかでは、板東三十三観音霊場、中禅寺(立木観音)は、東照宮と比べるとちょっと地味かな?

でも、日光の歴史からいうと全然負けてはいません。奈良時代から社歴はいっぱい詰まっています。

この中禅寺を建立したといわれる勝道上人(しょうどうしょうにん)の人生を追って栃木の観音霊場へ巡って行きたい。

勝道上人は、奈良時代から平安時代に日光を山岳信仰の聖地と開山したど偉い僧侶で、1250年経った今でも、日光山輪王寺の入り口で、ここからが、日光世界遺産ですよみたいな、そんな安っぽいもんじゃない、こここそが日本で代表する山岳信仰の聖地だぞと示すがごとく、銅像になりながらも未だに気を吐いているように見える。

 

この銅像が社寺巡りのスタートだ。

ここから、日光観光のメインの二社一寺(二荒山神社東照宮)(日光山輪王寺)が巡れる。

江戸を守る徳川家康を祀った日光東照宮以外は、日光一帯の社寺は勝道上人が創建だ。

 

国宝、重要文化財だらけであげればキリがない。勝道上人がこの日光を開いたのは、日光山、日光連山が、元々神々しい聖地だったからだろう。

社寺の背景には、神々しい山々が連なる。

お父さんに例えられる男体山、お母さんに例えられるのが女峰山、子供とされるのが太郎山などなど。

その中でも、男体山は、富士のように円錐形で聳え立ち、足元には、中禅寺湖が鏡のように広がる。

美しい。

山々に囲まれた中禅寺湖の森の中から一本の筋のように、華厳の滝なって落ちていく様は、あまりにも美しく日光一帯が神々が住むような世界に見える。

勝道上人が、この地に霊験あらたかさを感じたのが私にも分かるレベル、まさに天国、仏の世界では浄土。浄土の中でも観音浄土が相応しい。

観音様のお住まいといえば、補陀落山(ふだらくさん)。ふだらく、ふたらく、ふたあら、ふたらさん、二荒山、元々は男体山ではなく二荒山(ふたらさん)と呼ばれていた。二荒山(ふたらさん)は、ニコウとも読める。ニコウ、にっこう、日光。日光はなんと観音信仰で覆われている。

これぞ坂東三十三観音霊場

中禅寺湖を南方の海と見立てると、観音さまのお住まいは、南方の海上に聳え立つ補陀落山

男体山は、まさしく補陀落山と言えるだろう。

日光の揺るぎないランドマークと言える。

その男体山を初登頂したのが、782年、これもまた勝道上人なのだ。三度も挑戦して登頂。

凄いよな。

モンベルもノースフェイスもファイントラックもない時代だからな。

男体山山頂に、

二荒山神社奥宮建立。

 

ここから俯瞰した景色は素晴らしいだろうな。

 

中禅寺湖湖畔には、男体山への登山口となる

日光中宮祠神社も創建。

 

華厳の滝を下って、麓の輪王寺東照宮の奥に、二荒山神社本社を創建。

 

どう考えても、この男体山(二荒山)が御神体で、その裾野は全域が神域でしょう。

神域でもあり、観音様の浄土(補陀落山)と重なり合い、神も仏も居られる雰囲気が、漂っている。

明治の神仏分離の性で各々社バラバラになっているが、俯瞰すると美しい観音浄土になっている。

 

霊峰男体山

 

その男体山の麓、中禅寺湖の湖畔に男体山の登山口となる日光中宮祠と日光山 中禅寺(立木観音)18番札所が並びあった。

現在の中禅寺(立木観音)は、湖畔の場所も変わり、日光山輪王寺の別院になっているが、山々全体が補陀落で神も仏も調和されているのに、別院と言わざるえないのが残念。

別ではない、日光全体が神々、観音霊場で、観音浄土と重ねて拝みたい。

自然から精霊を感じ、神々として祭り、山を敬う山岳信仰が、仏とも相まって日本らしくてとても大好きだ。

そう思うと、巡礼にも山々からもパワーがもらえる。

日光はまさに観音巡礼の聖地ではなかろうか。

 

そして、そのパワーを受け入れて、中禅寺の千手観音様に手を合わし、自分の心の中の観音様との共鳴を感じたい。

 

次回は、中禅寺湖畔に佇む立木観音様に因む明治の逸話から、観音経の功徳と進みたい。

 

つづく。

【0044】日光街道と巡礼

浅草から、初めて東武鉄道で宇都宮の自宅へ。

新幹線やJR快速の方が早いが、

旅の気分で東武特急で帰ることに。

お江戸日本橋、浅草から日光街道で歩いて帰りたいと思うが、ちょっと流石に旅すぎる。

出発時刻の掲示板を見上げて確認すると、特急けごん

日光方面に行くんだなと分かる。

華厳の滝か。

渋いね〜。

 

特急は新栃木駅まで、新栃木駅普通列車に乗り換え終点宇都宮駅へ向かうルート。浅草から宇都宮駅間の直通特急は廃止されてたので、寂しいかぎりだ。

途中駅は、浅草をスタートに千住からスカイツリー曳舟南栗橋、北に上がっていく、なんとなく擬似日光街道、日光鉄道かな。日光街道と思い込み、ゆったりとカゴではなく特急列車に乗り込む。

 

東武特急だと、2時間ちょっとは掛かるが、江戸時代みたいに途中で宿は取るまでもなく一気に進んで自宅宇都宮へ。

自宅近くの宇都宮城を復元した城址公園に泊ったと空想。徳川将軍が、日光東照宮へ参拝する際は、宇都宮城に宿を取っていた格式あるお城だ。

将軍気取りで、自宅で陣をとる。

ただ、家に帰っただけとも言うが、殿様気分でリビングに転がる。

あ〜ゆっくりできる。

幸せ〜。

ちょいと振り返ると、2007年から急遽、関西から東京で働くようになり、その時、休暇で初めて関東で旅行先にしたのが、日光と奥鬼怒温泉。当時、関西から日光は遠く、一度は行ってみたかったんだよなと思いながら向かった。

戦国の覇者家康を祀る日光東照宮は、どうしても見てみたかった。

まずは東照宮へ。

初めて見たら、流石に一見の価値はありました。

これこれ教科書に載ってた陽明門。

装飾がここまでできる?

感動もの。

 

その時は、当時の自宅千葉県市川から向かった。都内の渋滞を避けて、早朝、東北道東照宮を目指す。現代の日光街道みたいなものか。

 

この時、まだ板東三十三観音霊場のことを知らず、当然、日光に観音霊場、第18番 日光山 中禅寺(立木観音)があることなど知る由もなく、東照宮のみ目指して行った。

 

その数年後、浅草浅草寺で坂東三十三観音のことを知り、板東(関東)の殆どの観音霊場を回りに回ったのですが、憧れて一番に訪れた日光に行ったにも関わらず、その後は栃木県には一度も縁なく、ポッカリ空いた栃木県の霊場を残した御朱印帳を持ったまま関東から離れる。

転々と大阪、福岡と転勤になり、東京までは出張もあるが、栃木県までは行くチャンスがなかった。

そしたら、次の辞令がなんと栃木県の宇都宮支社と決まる。栃木県の観音様から呼ばれのではないか?としか思えなくなっている。

私の心に観音様が育っていた。

 

宇都宮に暮らすのも慣れ、改めて御朱印を頂きたくなった。日光街道も自宅の目の前にあり、日光に行くまでには、日光街道には桜並木もあり、春はとても綺麗で、その先には、日光街道は世界一長い杉並木を進むことになる。

地味ながら風情があり、徳川家の日光への参詣の想像を味わえる。

とてもいいところなのだが、この全国区ブランドの日光がありながら栃木の単語と連動が感じにくいのか、都道府県魅力度ランキング2020年度栃木県が最下位で茨城県と争っている。

日光東照宮があまりにも有名で、関西から見ると栃木県のイメージは浮かびにくい。

日光県、那須県、だったらと思うとこがある。

宇都宮の餃子ブランドも。

 

宇都宮から先は、奥州街道日光街道に分かれる。高速道路も東北道日光宇都宮道路に分かれる。

宇都宮から30分程度であの憧れの日光に行ける。早朝に旅立たなくても、ちょっと行こうかで直ぐに行ける。

まだ、伺えてない第18番 日光山 中禅寺(立木観音)に御朱印帳を持って、日光観光しようかと旅立つではなく、出かけようかとなる。

旅からピクニックと変わった。

東京から宇都宮へ、そして日光へ。

日光街道は、まさしく徳川将軍の巡礼の道。

栃木県、日光市

第18番 日光山 中禅寺(立木観音)と開山勝道上人の巡礼へ。

つづく。