日光からの勝道上人の伝説と栃木県の観音巡りへ。
坂東三十三観音第十七番札所
出流山 満願寺。
読みにくいが、
出流山。
いづるさん。
車で山を登る。
北関東自動車道 佐野田沼ICからそこそこ40分ぐらいは掛かるかな。
高速道路を降りて、町を抜け、田畑もそこそこにすぐ山間に入り込む。何気に進んでいくと、ちょっとびっくりするかも。
満願寺まで見たことのない世界が広がってくる。
予想してないぞ。
真っ白な山肌が見えてくる。
この世ではない。
山中で、雪でもないのに景色が真っ白。
これだけ真っ白だと怖い。
なんだかすさんだ景色になる。
石灰鉱山の工場が並び、
荒廃感が凄い。
石灰の真っ白さがホント異様だ。
恐ろしさにも感じる。
この道順で合ってんのかと思う。
火薬で爆破して石灰の岩を粉々にしてるのか?
周りの草木も白い。
誰もいない安全な場所での爆破シーン。
仮面ライダーの世界。
ショッカー達が、次々と背面の爆破で倒れてる姿が浮かぶ。
戦いと火薬の撮影にはもってこい。
ゴレンジャーの光景だ。
観光地にしてもええんと違う?ってぐらい珍しいかも。
石灰鉱山地帯を抜けると今度は、またトリップが仕掛けられている。
こんな山奥に何軒も蕎麦屋さんが現れる。
蕎麦、そば、ソバ。
蕎麦屋の看板が呼び寄せる。
元祖手打ち蕎麦
いづるや。
元祖に負けた。
トラップに掛り、暖簾をくぐる。
満願寺の門前で蕎麦に捕まる。
店に入ると満席で、蕎麦を啜る姿が美味そうだ。
厳選した地元の玄そば(殻つき黒いそば)を自家製粉とのこと。
薪を使ってゆであげる。
「挽きたて、打ちたて、ゆでたての三立て」
寒晒し蕎麦
腕で輪を囲む位な大ざるに五合。
これも珍しいな。
家族でペロリ。
美味い。
子供もモグモグ。
ズルズル。
「いづる名水」といわれる満願寺の滝から流れ出る湧水。こんな石灰をくぐり抜けた湧水は美味いに決まっている。
しかし、栃木県の蕎麦は、何処も美味いんだよな。
脇道に逸れて進まない。
食べ終わり。
やっとのことで山門。
仁王門にたどり着く。
ここからが本番、山門を潜ると満願寺だ。
満願寺のホームページより、
真言宗智山派 出流山満願寺は、弘法大師御作の千手観音菩薩をご本尊とする坂東三十三観音第十七番札所です。今から千二百余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、天平神護元年(765年)日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山されました。この「観音の霊窟」には鍾乳石によって自然にできた十一面観音像があります。〜
出てきました。役小角(えんのおずぬ)。
洞窟や山岳では、必ずと言って出てくる。
修験道の開祖。
私の本拠地と言ってもいい奈良の紀伊山地、ここは大好きな天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など、その他多くの修験道の霊場は、役小角が開祖と言われる。
奈良の葛城山、吉野などなど山を駆け巡った修験道の伝説の人だな。
日本の信仰の根底には、まだまだこの山岳信仰のスーパースターの思想が未だに脈々と流れいて後で追いたいとも思う。
流石、修験道のスーパースターだけあって、一国を怯えさす力と人気があったのだろうか、民衆を怪しい教えで惑わすと、伊豆へ流罪にもなっていて、富士山も駆け巡ったと言われる。
伝説はココ、栃木の佐野市から栃木市の山奥の中の山奥の鍾乳洞にも轟いているのか。
東京からでも2時間位は車で掛かるこの山の中でも伝説が残る。
山岳信仰、呪術、密教、このワードから満願寺はすごそうに感じる。
満願寺のホームページより
下野の国司(今の県知事)の高藤介の妻が子宝に恵まれず、この「観音の霊窟」で子宝を得ることができるということを聞いて21日間「観音の霊窟」に籠り、翌天平七年に男の子を授かりました。この子がのちの勝道上人です。
役小角が発見した鍾乳洞の観音様。
日光山岳信仰の開祖勝道上人が、両親のお祈りで生まれるわけだ。
以来、当山の奥之院にお祀りされている鍾乳洞で自然にできた「十一面観音菩薩」は子授け、安産、子育てのご利益があると信仰されています。〜とのこと。効き目は抜群そう。
自然崇拝も交わって、山岳信仰は大好きな私ですが、修行は残念ながら苦手なので^_^、坂東三十三観音第十七番札所の奥野院はハードな道のり。満願寺の本堂から奥にある山道より約1km歩いたところに、大悲の滝があり見どころ。素敵な滝に打たれるのはいいが、ハイキングレベルで登らされキツイ〜。苦手な修行をナチュラルに導かれ修験道に。
この段階でヘトヘト。
滝の飛沫だけ浴びて、マイナスイオンに包まれ、
あ〜涼しい。
ゆるい滝行で癒す。
奥之院へは、大悲の滝からまだ石段を登ること百余段。
そこでやっと奥之院の拝殿に入ります。
奥野院高いところにあるな〜。
見上げる。
崖だよ。
京都清水寺みたいに、格子状に組まれた足場の上に真っ赤な伽藍が見える。
ここの階段を登るのか。
まずは、休憩。
役小角は、本当に来たのかな?
いつも役小角並みに、子供たちは崖を駆け上る。
弱ってるお父さんの到着待ち。
手を振っている。
この拝殿が鍾乳洞の入口になっており、中に鍾乳石で、自然に出来た十一面観世音菩薩の後ろ姿のご尊像が拝されています。
坂東三十三観音第十七番札所 流山満願寺奥の院まで無事汗だくになり登頂。
達成感。
なんとかこれた。
役小角×勝道上人
山岳信仰のスーパースターの競演。
そして、本堂は仏教界のスーパースター弘法大師空海がご本尊千手観音彫っていて、これが坂東三十三の観音様。
観音様の前で、手を合わせて日頃の助太刀に感謝。
寺伝は、伝説の修行僧で溢れかえる。
護摩も焚いて、
秘密の呪文を唱えたら効き目抜群だろうな。
御朱印もパワーあり。
でも、なんか不思議。
新幹線も飛行機もない時代に、仏教地図から見ると関西と関東が意外と近い。例え伝説だとしても信仰の情報が届いていたということ。
栃木県にも熱い観音信仰が、1200年も前から繋がっているのかも思うと不思議な気分。
日本中に観音信仰が行き渡っているのだなぁと改めて思う。
それも奈良時代、平安にかけても山岳信仰、空海の真言宗など交流が盛んなんだな。
関西に住んでいて、栃木県って?
どこ?って感じだったのが、山岳信仰や仏さまや神様では、まったく距離感がない。
空でも飛んでいたのかと思ってしまう。
奈良時代とか移動はどうしていたんだろうか。
野宿に?寺で宿泊?
満願寺から麓の坂東平野から京都までどうしていたんだろうか。
三十三観音霊場から横道にそれるが、2022年07年に、京都に知人と会う機会が訪れ、真言宗智山派、満願寺と同じ宗派の総本山に泊まれることに。
京都真言宗智山派 智積院へ今時の宿坊体験できることになった。
坂東から一気に京都へ。
番外編、真言密教へつづく。