浅草から、初めて東武鉄道で宇都宮の自宅へ。
新幹線やJR快速の方が早いが、
旅の気分で東武特急で帰ることに。
お江戸日本橋、浅草から日光街道で歩いて帰りたいと思うが、ちょっと流石に旅すぎる。
出発時刻の掲示板を見上げて確認すると、特急けごん
日光方面に行くんだなと分かる。
華厳の滝か。
渋いね〜。
特急は新栃木駅まで、新栃木駅で普通列車に乗り換え終点宇都宮駅へ向かうルート。浅草から宇都宮駅間の直通特急は廃止されてたので、寂しいかぎりだ。
途中駅は、浅草をスタートに千住からスカイツリー、曳舟、南栗橋、北に上がっていく、なんとなく擬似日光街道、日光鉄道かな。日光街道と思い込み、ゆったりとカゴではなく特急列車に乗り込む。
東武特急だと、2時間ちょっとは掛かるが、江戸時代みたいに途中で宿は取るまでもなく一気に進んで自宅宇都宮へ。
自宅近くの宇都宮城を復元した城址公園に泊ったと空想。徳川将軍が、日光東照宮へ参拝する際は、宇都宮城に宿を取っていた格式あるお城だ。
将軍気取りで、自宅で陣をとる。
ただ、家に帰っただけとも言うが、殿様気分でリビングに転がる。
あ〜ゆっくりできる。
幸せ〜。
ちょいと振り返ると、2007年から急遽、関西から東京で働くようになり、その時、休暇で初めて関東で旅行先にしたのが、日光と奥鬼怒温泉。当時、関西から日光は遠く、一度は行ってみたかったんだよなと思いながら向かった。
戦国の覇者家康を祀る日光東照宮は、どうしても見てみたかった。
まずは東照宮へ。
初めて見たら、流石に一見の価値はありました。
これこれ教科書に載ってた陽明門。
装飾がここまでできる?
感動もの。
その時は、当時の自宅千葉県市川から向かった。都内の渋滞を避けて、早朝、東北道で東照宮を目指す。現代の日光街道みたいなものか。
この時、まだ板東三十三観音霊場のことを知らず、当然、日光に観音霊場、第18番 日光山 中禅寺(立木観音)があることなど知る由もなく、東照宮のみ目指して行った。
その数年後、浅草浅草寺で坂東三十三観音のことを知り、板東(関東)の殆どの観音霊場を回りに回ったのですが、憧れて一番に訪れた日光に行ったにも関わらず、その後は栃木県には一度も縁なく、ポッカリ空いた栃木県の霊場を残した御朱印帳を持ったまま関東から離れる。
転々と大阪、福岡と転勤になり、東京までは出張もあるが、栃木県までは行くチャンスがなかった。
そしたら、次の辞令がなんと栃木県の宇都宮支社と決まる。栃木県の観音様から呼ばれのではないか?としか思えなくなっている。
私の心に観音様が育っていた。
宇都宮に暮らすのも慣れ、改めて御朱印を頂きたくなった。日光街道も自宅の目の前にあり、日光に行くまでには、日光街道には桜並木もあり、春はとても綺麗で、その先には、日光街道は世界一長い杉並木を進むことになる。
地味ながら風情があり、徳川家の日光への参詣の想像を味わえる。
とてもいいところなのだが、この全国区ブランドの日光がありながら栃木の単語と連動が感じにくいのか、都道府県魅力度ランキング2020年度栃木県が最下位で茨城県と争っている。
日光東照宮があまりにも有名で、関西から見ると栃木県のイメージは浮かびにくい。
日光県、那須県、だったらと思うとこがある。
宇都宮の餃子ブランドも。
宇都宮から先は、奥州街道と日光街道に分かれる。高速道路も東北道と日光宇都宮道路に分かれる。
宇都宮から30分程度であの憧れの日光に行ける。早朝に旅立たなくても、ちょっと行こうかで直ぐに行ける。
まだ、伺えてない第18番 日光山 中禅寺(立木観音)に御朱印帳を持って、日光観光しようかと旅立つではなく、出かけようかとなる。
旅からピクニックと変わった。
東京から宇都宮へ、そして日光へ。
日光街道は、まさしく徳川将軍の巡礼の道。
栃木県、日光市、
第18番 日光山 中禅寺(立木観音)と開山勝道上人の巡礼へ。
つづく。