三十三観音巡礼  非公式サイト(煩悩充実日記)

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【0034 観】お礼参りから能登墓参りの北陸旅

善光寺への坂東三十三ヶ寺の結願(けちがん)のお礼参りは、石川県能登半島にある私の父へ久しぶりの墓参りへの豪華な寄り道でもあって、本来の目的である父が眠る能登方向に車を向ける。

関西からは、姉の家族と共に母も車に乗せて同じく墓参りに向かってくる予定だ。

能登半島の墓守をしてもらっている叔父さんの家で久しぶりに顔を合わせられる。

観音巡礼からすると、私たちは関東(坂東)から、姉たちは関西(西国)からそれぞれ北陸の石川県能登半島に向かう。

家族で全員集れるタイミングを作るのも中々難しいものだ。特別な待ち合わせ地点を用意してくれるのも観音様の粋な計らいかもしれない。

亡くなった父から孫まで全員集合できるなんてそうそうない。

観音様のありがたい慈悲バワーなのだろう?

としか考えられなくなっている自分もいる。

 

坂東三十三ヶ寺の観音さまの結願(けちがん)と善光寺の線香と、かわいい娘をお土産にして、北国街道を並行する上越自動車道を安全運転で目指す。

北アルプスの誉れ高い山々、黒部渓谷などに通せんぼされるので、新潟県から富山県にと、北陸街道を遠回りに廻り道するように進む。

一直線に長野から石川県には進めない。

トラックの長距離ドライバー気取りで運転に集中する。

 

栃木からスタートして、昔の地名なら下野(しもつけ)、上野(こうずけ)、信州で寄り道した北向観音善光寺、越後、越中から能登に向かう。古いの地名の方が巡礼にはよく似合う。あんちょこに歴史家気分に浸れる。車も更に進ませ越中富山で方向を変え、能登半島に入って行く。寒ぶりで有名な氷見漁港の脇を通り抜けて、今は能越自動車道も出来ており、石川県能登七尾まで一気に進める。戦国、江戸時代は、どんな旅だったのだろうか?馬?舟?カゴ?歩き?

歴史の本を引っ張り出して読んでいると、日本国中、思ってた以上に人の移動は頻繁に行われているような気がする。古い神社やお寺の広がり、観音霊場も日本各地に散らばっているもんな。江戸時代だと街道も整備されていて電話はないが、手紙も各地に江戸からは数日で届いている。巡礼の旅も盛んだ。

日常徒歩が中心だとすると、峠越えはともかく平地は楽勝で歩いていたんだろうか。

私なんかコンビニ行くのも車だもんな。徒歩で巡礼は気が遠くなる。このレベルの私でも、今や車や電車を使えば日本各地の巡礼もできる。戦乱も一揆もなく関所もない。

巡礼には幸せな時代だ。

 

七尾市は、能登半島を左手の人差し指に例えると、軽く指を曲げる関節中頃にある。そこから30分位、車を走らせると父の墓がある。両親の実家もあり両親の地元だ。

夜中から出て、豪華な寄り道しすぎでやっと夕方に到着。

まる半日かけてきたが、以前と変わらない景色が待っていた。

懐かしいまでもいかないが、ホッとする。

久しぶりに叔父さん家だ。

 

みんな歳とったな〜と、当たり前の感想が浮かぶ。昔からお世話になった叔父さんの家では、子供の頃の感覚に戻される。

何故か10歳前後なんだ。

子供の頃、叔父さんの歳を越えるなんて想像もしなかったよな。既に私がその歳を超えているんだから驚きだ。

落ち着いて考えるとかなりショック度は高い。

おそらく、自分の死も感じるような歳になってきいるからかもしれない。心の奥に、漠然とした不安感はあるよな?

しかし、まぁ無事に今までよく生きてきたんだな〜と感心をもすることも多いが…。

父も早く亡くなって、色々と人生あったりでもなんとかここまできたもんな。生きて生活できてるだけも当時を考えると奇跡だなぁと思うところもあるし。

ホッとしたいところだが、人生の折り返し地点の歳を過ぎると加速度的に一年一年があっという間に過ぎる。何なんだろうねこの速さ。

墓に入っている父の歳をも超えた。

このペースだともう自分も準備しなくちゃいけない。

みんな年齢を重ねてきて、もう叔父さんの歳からしても墓守も頼めないし、子供は二人とも娘だし。跡取りの息子も今更生まれないし、養子取る程の家でもない。墓じまいしなくてはならないかな〜。

能登に、そうそう娘も来れるとは思えない。下手すると、羽田からグァムの方が近いかも。難しい課題だが、私がやらなきゃいけない。

墓じまい。

 

姉たちも到着。

母のばあちゃんも、何とか連れてきて貰えた。

もう、ばぁちゃん一人では墓参りは無理だよな。キーホルダーのマスコットみたいに座ってるし。

む〜。

日本人は遺骨は特に大事にするから、先祖供養は何となくほったらかしにはできないもんな。

回りも許してはくれない。

墓じまいは、自分の責任でやるしかない。

もうこれは決意。

私の代でおわり。

 

久しぶりにみんなとの会話も楽しむ。いつまでもこの幸せが続くと思いたいのだが、人はどこかで100%死ななくてはならない。この微妙な寂しさ。

死を感じると一日一日大切なんだと思わされる。

娘はそんな事は微塵も関せず楽しそうだ。ちびっ子の若さは本当にいいね。いとこの家族も来てくれて、次世代も含めてその夜は楽しみ、ゆっくりさせてもらう。

 

落ち着いて翌朝墓参り。

 

地元にいる親類にも久しぶりの挨拶をして、村の裏山の坂を登って墓を目指す。

ばあちゃんは大丈夫かな。なんとかついては来ているが、畦道の歩く姿…。

こりゃ今後はむりだなと、悟りに入る。

墓地に着くと、何となく墓石も減ってきた感じがする。こらからの日本は人口減だもんな。

坂を登って、着いたよお父さん、おじいさんにお婆ちゃん。

私で3代目、私でごめんなさい。

 

心に浮かぶ。

亡くなっている父は歳を取らない。

未だに私の中では、若いままだ。

下の娘は初めて連れてきたよ。かわいいでしょ観音様が連れてきてくれたよ。

墓石には、南無阿弥陀仏と彫られている。

あ〜阿弥陀さまだ。

巡礼のお陰で、墓石を見る目も変わってきている。仏教知識で見えてくる。

先日、善光寺で胎内めぐりで阿弥陀さまの側までは行ってきたよ。絶対秘仏阿弥陀さんは見られないが、豪華絢爛の内陣で極楽浄土を見てきたよ。

お土産で線香もあるからね。

墓は何とかしなちゃいけないから、もうちょっと観音さまの力借りるわ。まだ、楽しく生かせてもらってなんとかするよ。

まだまだ、頑張って働かなくちゃ。

子供の成長も見たいし、欲が一杯あるからね。

悩みは多い。

ロウソクに、線香、数珠、みんな集合。

手を合わせるよ。

なまんだぶ。なまんだぶ。

 

なもあみだぶつ。

改めて、浄土真宗なんだなと思う。

南無阿弥陀仏

墓石に彫られてある。

南無阿弥陀仏

 

あ〜阿弥陀さま。

 

墓の前では自分も死ぬんだなと思うようにはなってきた。

 

死んだらどうなるんだろうか。

 

墓前でも誰も教えてもくれない。

誰もわからない。

お坊さんも本職ではあるが、説教もしないし、人間だし習えない。

大学教授だろうが眉唾回答しか出せない。

信じるものがない。

父は、あっけなく脳卒中で倒れて、そのまま何も死のことは言えないまま。他にも言いたいことはあったかもしれないが、一切語ることなく逝った。

何気ない漠然とした死への怖さかな。感じるようになってきた。

まだ、死にたくないもんな。

この歳にもなると身近に近づいて死に対して、何か…。

もの寂しさを感じる。

ここでひとつ和らげてくれる発見があった。

観音様の安心感。

三十三観音

これだけ沢山の観音様に参りしていると、心の中に入ってきた観音様の慈悲か?死に対して少し楽にしてくれている感じがする。

亡くなった後、よくわからないが一人旅立つ孤独感が薄まる。

観音巡礼のお陰かもしれない。

観音さまの慈悲深さ。

庶民の欲に対する優しさ。

先には、阿弥陀さまの極楽浄土まで連れてってもらえるような安心感。

三十三観音の廻った数ではない、その観音様の心に入った感じがそうさせる気がする。

墓石には、南無阿弥陀仏と彫られているという事でも、あ〜阿弥陀様にも救って貰えるのだろうか?

ただ、観音様が心に何もなかったことを思うと全然違う。

少し救いになる。

仏教宗派でも、浄土真宗の開祖親鸞聖人は、悪人でも救ってもらえると解いてくれている。

私になんかにはとても優しい教えだ。

ばあちゃんも頼んでおくよ。

死に対する不安感を観音様が優しく見守ってくれていることに気づかしてくれる墓参りになったかもしれない。

三十三観音巡礼これだけで十分価値があったと感じる。

誰もが迎える課題だか、答えも何もない。

そんなよくわからない人の儚い人生、死ななきゃならない微妙な気持ちにひとつの安心をもたらしてくれる。

観音さまありがとう。

 

次回は、能登七尾で生まれた天才絵師の長谷川等伯の生き抜いた戦国時代から関西(西国)へと旅は続く。