簡単に、信じれば救われると言ってもらえないのが唯識仏教。
自分の心の中、奥を分析するような。
悩みを解消する知識。
自力で幸せに向かう仕組みとか。
信じても救ってくれない奈良の南都仏教。京都の南にある奈良の都の大寺院。
宗教というより学問?
また、学問の届かないところまで深い奥義。
仏教原論。
お釈迦様の教えの論理解説としか思えない。
救って貰うと言うより悟る為のもの。
自ら覚るには、この難解なマニュアルがあるよ的な感じ。
その超難解な教えの中心部の法相宗は、真逆の楽しい超簡単な漫画の西遊記が原点?
「玄奘三蔵」
西遊記は楽しかったよな。
難しい教えなどない。
悟空の大冒険をブラウン管テレビでよく見ていたもんな。
三蔵法師。
夏休みとか再放送でよく見たなぁ。
エンディングの歌が好きだった。
悟空が好き好き、学校が好き好き、遊びが好き好き♫
分かる年代は限られると思うが。
面白かった。
丸坊主でも美しさは変わらず。
お綺麗なまま、天竺(てんじく)インドを目指してたよな。
なんにも考えずに見てたな。
悪いことしたら、暴れん坊の悟空が金の輪っかで頭を締め付けられる。
いててて、許してください〜。
仏様に悪いことしたら見られてるからな。
あの難解な唯識の経典をインドから持ち帰ったのがこの玄奘三蔵?
子供の頃は、何にも経典なんか気にしてなかった。
三蔵も実在の人物がいるとは?
カッパと豚の妖怪も引き連れるファンタジーと思っていた。
唐の長安からインドは遠いよ。
行って帰ってくるのだから往復だよ。
エベレストは乗り越えられないから一直線にインドは行けない。
グルリと砂漠や山を乗り越えそれも徒歩で、今でも、車で行っても超過酷。
あの荒涼たる大地。
インドから657部の経典を持ち帰った。
仏教の核心部分の教科書。
その旅行記、持ち帰ったインドの経典を漢字に翻訳を生涯を掛けて行う。
驚異的なスピードで翻訳していくものの、とうてい全部はできず。
でも大丈夫。
このお弟子さんも優秀。
翻訳を続けて、この弟子の慈恩大師基(窺基)さんが法相宗を開く。
玄奘三蔵と法相宗が繋がった。そうだったのかと大人になって気づく。
唐の長安で花開き。
最終到着点の日本へやってくる。
結局のところ、インド、中国ですたれ残っているは興福寺と薬師寺。
どちらも廃れかけるも。
三蔵法師の意思は日本が最後の砦。
興福寺も金堂が復活した。
薬師寺も一昔前に復活。
昭和の時には、ボロボロだった薬師寺。
薄っすら覚えている。父が連れてってくれたときは東塔だけがあり回廊も植木だったような気がする。
なんで連れて行ったのかは分からない。
高田好胤和尚の説法がテレビで面白かった。
その流れを、お弟子さんがまた面白く小学生の遠足でも説法もしてくれた。
超面白かったことは覚えている。
これが子供向けと思っていたが、いやいや唯識思想で本質付いている本格的だったかも。
あの時に工事していたのが、宮大工西岡常一棟梁が建てた薬師寺の金堂なんだ。
昭和51年に完成。
大人になってから繋がってくる。
西岡棟梁の棟梁の「木に学べ」を読んで感動した。
仏教の実践学と言っても過言では無い。
宮大工の技術、考え方、古代のレベルの凄さ、職人とはまさにこのこと。
高田好胤和尚の強い再建の思いが、 西岡棟梁もこの本からも伝わる。
和尚の捨身の再建だよ。
無口に威厳を保ってやってもいいところ、圧倒的な面白話法を繰り広げればクソ坊主と言いがかりされてもおかしくない。
振り払って伽藍復興をやり切るんだから本当の捨身(命をかけて衆生救う)ではないか。
金堂に続き、西棟、中門、回廊、大講堂、食堂。
次々と再建されていく。
法相宗は、葬式もしない。
これを、高田管長が始めた写経を収める費用でまかなう方法で復興費を調達。
2000円払ってお経を写して納める。
凄すぎ。
写経で出来るとこんなに再建できると思う?
西国三十三観音も本来は、簡単に朱印帳のスタンプラリーのようになっているが、
写経を納めるのが本当らしい。
私も薬師寺で写経をしたものの、この下手くそな筆文字の般若心経が永代に保管して大切に仕舞われますといわれると申し訳ない気持ちで一杯になった。
この納める写経の経典が仏教、唯識に纏わる有難い教え。
般若心経。
唯識三十頌。
他にもあるが、代表的な教義。
法相宗の仏教は難しいので廃れ気味。
唯識は、ココロの教学で難しいすぎる。
宗教の広めるには簡単な方法で救われること。荘厳な雰囲気の見た目が大切。
なんか凄そうな感じ。薬師寺にはそれが戻った。
これだけの伽藍復興のようなカタチから入って後、唯識のココロの復活に繋げても遅くはない。
ココロは後から付いてくる。
益々、これからの時代になって改めて良さが理解されるのではないか。
この美しい東塔、西塔の並びを見るだけでもいい。
ここに、さいたまの慈恩寺から玄奘三蔵の骨が分骨してここ薬師寺に眠る。お墓といったところか。
なんと日本にも骨があるんですね。
この玄奘三蔵院には、平山郁夫さんの大唐西域壁画に玄奘三蔵の志の旅が描かれて、法相宗のココロも目に焼きつき素晴らしい。
三蔵法師が目にしたであろうシルクロードの景色の色が発色して眩しい。
知らなかったが、この分骨してくれた埼玉県の慈恩寺が、なんと坂東三十三観音霊場 第12番札所。
西国三十三観音ではなく、関東一円の観音霊場の坂東三十三観音霊場。
遺骨が戦争のどさくさに紛れて、回り回って埼玉にたどり着く。
この慈恩寺で、私の坂東三十三観音霊場が結願(坂東三十三観音を全部回り切る)しました。
私の坂東三十三観音の最後にたどり着いたのは薬師寺と繋がりがある慈恩寺でした。