2019年夏。
上信越道の上田菅平ICを途中下車。
開門時間が5月〜9月は、6時〜17時になっているので早朝からでも開いている。
メインイベントの善光寺には昼頃までには行きたい。
車を進める。
温泉街に入り道が狭くなってくる。
山里のいい風情の温泉街だな。
早朝なので人も出会わない。
道が狭くナビも迷う。
別所温泉の看板も目に入り場所は間違いない。
更に道が狭くなって。
路地をどちらに行ったらいいのだろうか。
右?左?
車でこの先に入れる?
”目的地に到着しました。案内を終了します”と
ナビに見放される。
どこだろうか。
のろのろと車を進めて行き止まり。
旅館の駐車場でエンジンを切る。
車を降りると早朝の静けさ。
朝の空気感。
当たりを見回すと、北向観音の案内板を見つける。
早朝なので、今日は焦ることない。のんびりと北向観音の案内文を読んでみる。
「本尊は千手千眼観世音菩薩で北斗星が暗夜の指針となるように、この北向きの、み仏は衆生を現世利益に導く霊験があり、・・・」
やっぱ観音さまの存在はありがたい。
私みたいな衆生は欲でいっぱい。
この世に生きている現世に、いい思いがしたいんだよ。
そんな低俗な欲だろうが、北斗星の指針のように観音様の慈悲の光で夢や願いを導いてくれそう。
ちょっとの希望が見えると生きていける。
実現不可能と思う自分に光を当ててくれる観世音菩薩。
「南向きの善光寺と相対し古来両尊を参詣しなければ片参りになるといわれている。」
ここだ今日の目的は。
片参りにならない善光寺参り。
北向観音だ。
なんかよくよく考えると贅沢なルートだな。
北向観音さまに現世を導いて貰い。
善光寺では阿弥陀如来さまは来世を導くのが得意なので、素晴らしい来世に連れてって貰えそう。
現世から来世まで導いて貰えると考えると、今日一日ありがたい日になりそうだ。
「天長2年(825年)平安時代 常楽寺背後の山が激しく鳴動を続けた末、地裂け人畜に被害をあたえたので、これを鎮めるため慈覚大師が大護摩を・・・金色の光と共に観世音菩薩が現れた」
おおー。
ここでも慈覚大師がでてくる。
北向観音も慈覚大師か?
【0018観】坂東三十三観音霊場 十二番札所 埼玉の華林山 慈恩寺にての時に
慈覚大師には少し触れた。
三蔵法師がインドから経典を持ち帰る。
↓
弟子の窺基(慈覚大師)唐の偉い僧で、師匠の翻訳を継承し法相宗の開祖。
この慈覚大師とは異なる。
↓
日本では奈良仏教時代から平安時代に入り、新鋭、空海と最澄が活躍する新しい仏教の時代へ。
天台宗の総本山。
叡山。
日本仏教界の総本山といっても過言ではない歴史を持つ。
↓
↓
初代:義真
↓
2代目:円澄
↓
3代目:円仁(慈覚大師)
この方が、北向観音を開く。
円仁(慈覚大師) から天台座主は、官符(かんぷ)の任命。朝廷からの「大師」という偉い人ですよと諡号(しごう)をも貰う。
よっぽど偉かったんだと思われる。
それにしても円仁(慈覚大師)の影響が、ここ長野県別所温泉にまで痕跡が。
関東から東北一帯を回るなら慈覚大師知っているだけで、各地の観光の謂われに花が咲くだろう。
関東以北にめちゃくちゃ多い。
この案内板の前を横切り、寺の伽藍の間をすり抜けていくと北向観音があった。
観音霊場ありました。
お堂の中に入り手を合わす。
到着が早すぎたのか、ご朱印を貰おうにも住職も誰もいない。
早朝の静けさのまま。
「おはようございます〜。」
誰か〜。
いませんか〜。
いそうにはありませんね。
「おはようございます〜。」
・・・・
いない。
慌てることはない。ぐるっと別所温泉の町並みでも回ってみるか。
それからでもゆっくり観音さまを拝もう。
カーナビは、北向観音の寺の裏側に案内されたようだった。
ハンドルを回しゆっくり元の道をだる。
寺をぐるりと、遠目に見ながら離れながらも寺の表側を探すように温泉街をゆっくりススム。
共同浴場がある。
車を止めたいがどこに駐車したらいいのか。
止められずにノロノロ車を動かして町並みの看板を見ながらススム。
あ、ここにも共同浴場が。
足湯もある。
小さな里山に温泉があちらこちらに湧いているのだろう。
風情がいい。
あ、ここが北向観音の参道か。
階段を下って左右に商店を通り抜けた先に北向観音のお堂が構える。
50m位か超かわいい参道。
風情がいい。
脇には共同浴場も。
駐車場もある。ここで温泉にしよう。
次回、いい湯でお参り。