仏教は超難解。
宗教のことは、誰も教えてくれない。
宗教は公立の学校では全く習わない。触れることすらない。
小学生の頃、よく父親に連れられて関西の神社仏閣にお参りというか、観光なのかよく分からないが連れて行かれた。
が、仏教の教えなど一言も教えられたことはない。
その父も私が小学高学年には亡くなってしまった。
早く亡くなることを知っていたのだろうか?私に他の子より多くの神社仏閣を、それもせっかちに彼方此方と連れてってくれた。
この父の話をすると切りがないので一旦置いておきますが、神社仏閣のお寺にに限ると関西のお寺はよく連れてってもらっていて、今になって名だたる名所だとやっと分かるようになった。
一休さん。
鈴虫寺。
苔寺。
京都に奈良などなどきりがない。
1970年代。
父からの口から聞いてないが、親戚のおじさんおばさんから、私のおじいちゃんはお坊さんだったとのよと聞かされていた。
それで、神社仏閣よく連れて行ってくれていたのでなないかな?
私が生まれたときには、おじいさんは既に他界していて詳しくは知らないまま。
浄土真宗のお坊さんだったらしい。
親戚が法事で集まると、お経が長くて退屈。早く終わらないかな。
これが私の小学生の仏教イメージ。
何の意味でやってるの?
難解な呪文を、延々とよくいえるよな〜。
法事で、両親の田舎に帰ると、とにかくお経が長い。
田舎のお経はながいんだぁ。
あ〜ながい。黙って正座で退屈。じっとしていないといけない雰囲気。
ナマンダブ−。
ナマンダブ−。
やっと終わったかと思うと。
休憩して、更にお経が続く。あーあーあー。
子供の私にとっては、はやく終わってよ。
大人になって分かったが、大人も同じレベルなんだね。周りの目を気にして分かったふりだけで退屈なのは同じ。
お説教があって。
まだ終わらな〜い。あ〜あ〜まぁ〜だ終わらないよ。
今に思うと、田舎は信心が篤かったんだなぁ。おじさんおばさん、いとこに、おばあちゃん。家もでかいが、仏壇もでかい。
それでも、幼いころからなんとなく仏教徒なんだろうな。
私も成長してくると、修学旅行や遠足で京都奈良は当たり前のように行く。
法隆寺。
東大寺大仏殿。
などなど。
お花見や紅葉での観光で、京都のお寺の庭は感動する美しさでデート。
夜は恐そう。
お堂のなんとなくおどろおどろしさ。お墓でおばけ。
そんなもんだ。
お経に意味があるなんて知らなかった。
亡くなった人が天国に行くのおまじないかと思っていた。
お経には意味がある。
30歳も過ぎると、私もちょっとは仕事も教える立場になり色々と思うことがある。
思うようには人は動いてはくれない。
自分のことは棚の上に、遙か上に置いておいての話だが、
何故、こちらの指示したことができないのか?
できない。
それは、まだ理解できる。
自分でやりますと言ったよね。それでもやらない・・・?
すみません。
言ったのは昨日のことだよ。
自分で自分のことだよ。
なぜ?
私自身のことは、私自身はよく見えていないが、他人のことはよく見られる。
なぜなんだろう。
頭では、口では、明日から早起きして頑張ります。
すみません、おきられませんでした。
なぜそうなる。
ココロ?
心理学など勉強もしたことはないが、なんとなく自分自身が気づかないココロがあるんではないか?
無意識がそうさせるのでは?
その無意識はどこからくるのか、もしかしたらコンプレックス。
怒られることが恐く、
意識はしていなくても、ココロを閉じてしまうからではないのかいるからではないのか?
どうすれば、無意識を治せるのだろうか?
仕事や遊びも結構教えるの上手かったのか、教育係とまで言わないが年配の人まで教える役がよく回ってくる。えせ説法できるお坊さん扱いだ。
ココロの扉を開かせるにはどうすればいいのか。
閉ざさしている無意識のココロを動かせば何とかなるな。と軽く感じていた。
問題を超えると人が輝くように、見違えるように仕事ができるようになる。
ココロの扉を開いたら人は輝くのではないか。
この無意識は、実は宝箱ではないか。
無意識の宝箱の蓋を開ければ、人の本来持っているココロが輝き出すのは間違いないと確信が持てるようになってきた。
無意識の宝箱の蓋を開けるのが私の主任になったらする仕事だ!
と、まぁ分からないなりに熱く語っていた。
ほんと分からないなり。
それが、めちゃくちゃ分かっている人たちがいるんだ。
無意識の宝箱を。
超難解なこの無意識の世界を日頃接していた仏教がめちゃくちゃ研究していたんだ。
自然の法則があって、それを発見してお経にしているんだ。
その中でも無意識の世界をさらに詳しく説明しているのが、この法相宗の唯識。
唯識所変。
仏教書から仏教を読んでもよく分からない。
お経から読んでも漢字の羅列でよく分からない。
お坊さんの話もよく分からない。
それは、たまたま本屋で手にした。
「日本人のための宗教原論」著者:小室直樹
イスラム、キリスト、仏教を比較して、超難解な仏教を解説。
衝撃!!!!!!!!
小室直樹先生めちゃくちゃ凄い!!!!!
仏教原論の超難解なところを、これだけ分かりやすく書いているのは初めて。
唯識って・・・・。
超凄い!!!!!!
人のココロの奥の奥。その中の奥のココロまで仏教が解説済み。
いやー凄いね。
仕事の参考にするためむさぼるように読み込む。
そこから、仏教原論。
他の宗教等、比較してから見ると分かりやすいんだ。
キリスト教を勉強した方が、仏教がよく分かる。
そもそも、キリスト教も習ったことがないし、クリスマスにサンタクロース。
マリアさんが観音さま?
そんなレベルで、キリスト教の宗教としての本質なんてしらない。
小室先生は、天才ですね。
比較して初めて仏教の特徴、日本の特異性と宗教がなるほどですね。
お坊さんから聞いてもわかりにくいはずだ。
仏教だけだもん。
仏教の経典だけなら超難解すぎるよ。
仏教の中でも一番難しいといわれる唯識は超が付く難解(難解を表す言葉もあり、唯識三年倶舎八年。倶舎論を八年学んだ後に、唯識を三年は学ばないと分からない)でも凄い。少し分かるだけでも奥深すぎることだけは分かる。
興福寺の柱(法相柱)に描かれるこの人達が、仏教の原論(唯識)を発展させてきたんだ。
その仏教原論の中でも唯識。
・世親菩薩(せしんぼさつ)
・護法論師(ごほうろんじ)
・戒賢論師(かいけんろんし)
・玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)
・慈恩大師(じおんだいし)
・淄洲大師(ししゅうだいし)
・濮陽大師(ぼうようだいし)
・玄昉僧正(げんぼうそうじょう)
・善珠僧正(ぜんじゅそうじょう)
・別当行賀(べっとうぎょうが)
・真興上綱(しんこうじょうこう)
・権別当蔵俊(ごんのべっとうぞうしゅん)
・解脱上人(げだつしょうにん)
・無著菩薩(むじゃくぼさつ)
まだ、初めて興福寺にご朱印をいただいていたころは、観音さまの巡礼というより仏教原論の衝撃の論理に驚愕していた。
どれも法相宗にとって偉いお坊さん達は、この難解な理論を分かっていて教えていたんだと思うと、なんて凄い人なのだろうか。
小室先生が、宗教の分類の仕方を「日本人のための宗教原論」で書かれている。
啓典宗教かとそれ以外か。
啓典=最高経典。キリスト教なら(福音書)、ユダヤ教なら(トーラー)、イスラム教なら(コーラン)これ絶対ルール。
仏教は啓典宗教ではない。それ以外の宗教。
仏教の経典は膨大。絶対ルールがないために膨大になっちゃてる。
経典多すぎ。
キリスト教なら聖書で絶対ルールがあり簡単だもんな。
経典は、お釈迦さま入滅後千年以上も後に続々と作られているが、お釈迦さまに聞いたところによればで始まって、宗教的価値の中身があれば問題なし。誰が作ってもOK。
俺でもいいの?
残念、俺では中身がない。
仏教の経典の優位付けの方法がいい例で、教相判釈(きょうそうはんじゃく)といって膨大なお経を判断して選んだりしたりしている。
これでは絶対の最高経典が絶対出ない。
俺はこれの経典がすきで選べちゃう。
経典を選ぶ判断で宗派ができている。大切な経典を選べちゃう。
お寺が焼き討ちにあって、僧が山盛りの大切と思っている経典を持ち出して逃げる漫画とかあったなぁと思い出した。