三十三観音巡礼  非公式サイト(煩悩充実日記)

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【0018観】坂東三十三観音霊場 十二番札所 埼玉の華林山 慈恩寺

玄奘三蔵」と坂東三十三観音霊場十二番札所 華林山最上院 慈恩寺

 

2018年5月30日

 

坂東三十三観音巡礼。

 

板東=関東 

関東の観音さまを三十三ヶ所を回りきった。

 

関東の観音霊場三十三番目の最終にお参りしたお寺が、

坂東三十三観音霊場 十二番札所

埼玉の華林山 慈恩寺

 

今住んでいる栃木県の宇都宮から国道4号線をひたすら南下。

春日部の看板が見えてくる。

土地勘が全くなく、ナビの通り進んでいくと立派な門があり駐車場に止める。

 

慈恩寺境内に入ると誰もお参りする人もなく静か。

我々、家族の貸し切り状態。

賽銭箱にお金をいれ、子供が鰐口(わにぐち)の紐を振り回してカランコロンと鳴らし、

観音さまへ日頃の感謝で手を合わす。

御朱印帳に記帳してもらい完結。

特段、回りきったという感慨深いものもなく、日常のお参りの感じ。

何事もなく、境内をゆっくりするもなく、駐車場へもどる。

 

確か?

玄奘三蔵のお墓があるはずなのだが、境内にそんなものは、なかったよな〜。

見渡しても。

ガラーン。

腑に落ちないまま駐車場の周りを見渡すと、あ、w看板が見えた。

そこ?

玄奘塔参道入口とコピー用紙に入口と一文字づつ貼り付けた看板が有り、ここ?

入り口あってます?

そこから、あぜ道といったほうがいいでしょう。

 

てくてく歩いていきます。

いつまでたってもそんな塔は見つからない。

 

五月だっとことでもあり、田植えが行われて黄緑色に稲がキレイ。

我が子は、小川やてんとう虫や花が気になりなかなか前に進みません。

その内、小さな山の中に入り、樹々の茂みを抜けると玄奘塔の裏に出ます。

そこそこの距離のある散歩道。

こんな所に、玄奘三蔵の遺骨がなんであるの?

 

これかな?

あ、これだ。

西遊記シルクロードから唐にあるならまだしも、なんで埼玉に?と思ってしまう。

本当に玄奘三蔵の骨?

石組みで十三重塔が立ちシルエットが中国ぽい。

ここに祀られている。

お参りする人もなく、静か〜。

 

お賽銭を、綺麗な夏目雅子さんをイメージして入れ手を合わす。

 

奈良の薬師寺玄奘三蔵の遺骨は、ココ慈恩寺さんが玄奘三蔵の分骨して贈られているそうな。

慈恩寺さんのお陰で、法相宗の師匠、玄奘三蔵を分骨して貰っうことによって薬師寺は立派な玄奘三蔵院伽藍も建築のハードだけでなく伯もついていい感じになったんじゃない。

法相宗薬師寺からすれば、法相宗の開祖(窺基)キキさんの師匠が玄奘三蔵

宗派の最重要人物だもんな。

欲しいよね分骨。

薬師寺の高田管長も喜ばれただろうな。

本物の骨だもんな。

この法相宗の開祖、玄奘三蔵の立派な弟子の窺基(きき)さん。

唐の大慈恩寺で玄奘三蔵から膨大な経典の翻訳を受け継いで、立派に成し遂げた偉いお坊さんの窺基(きき)さんは、尊敬されお寺の名前にちなんで慈恩大師と呼ばれるようになる。

 

唐の慈恩寺と埼玉の慈恩寺

 

慈恩寺

 

埼玉の慈恩寺の開基は、日本の慈覚大師(円仁)。

こちらも慈覚大師。

こちらは平安時代の仏教の最澄空海。の最澄に師事して天台で活躍した偉いお坊さん。

関東や東北でこの名前は覚えていた方がいい。

慈覚大師が関わるお寺が多数在り、観光にもひと味も加わる。

下野(しもつけ)国の壬生で生まれる。なにか縁を感じる栃木出身。

唐にも留学。

円仁は、よほど偉かったのだろう死後の諡なで慈覚大師を呼ばれるようになった。唐に留学に行った時の慈覚大師の大慈恩寺にちなんで埼玉のよく似ている風景なので慈恩寺となっている。

 

寺の名前が玄奘三蔵を呼んだのか?

玄奘三蔵の頭骨が遠き道で最終地がここ慈恩寺

 

何故か、私の坂東三十三観音での最終地が慈恩寺

 

私の坂東三十三観音の最終地として玄奘三蔵さんか。

ありがたいと思う。

感慨も出てきた。

さあ、玄奘塔の前で、記念に写真を撮ろうとするとバッテリーが…切れたー。

バッテリーも最後か。

ここでもw結願した

 

慈恩寺の千手観音さま。

呼んで下さいましてありがとうございました。

嬉しい結願でした。

 

次回、坂東の観音様に呼んで頂いたのではと思うこの板東三十三ヶ所の関東一円について。