三十三観音巡礼  非公式サイト(煩悩充実日記)

充笹の営業、経営、教育、健康、恋愛、愛情、旅、グルメ、神社、朱印帳、温泉、いいこと一杯!観音様の慈悲へ感謝の実記録

【0043】浅草寺の輝く夜景とナイトウォーク

人混みの中で、雷門での記念撮影も済まし、

浅草寺へ潜入。

 

雷門の巨大提灯の下、落ちてきたら潰されちゃうとビビりながら、

丸い淵を見上げると、

そこには、龍の彫刻が現れる。

 

板東三十三観音霊場 

13番札所

金龍山 

浅草寺

 

山号が金龍山

 

浅草寺に、龍が現れる伝承縁起。

その昔、観音様が現れになった時、一夜にして辺りに千株ほどの松が生えたという。

3日ほどして、天から金の鱗を持った龍が松林に舞い降りたと伝えられている。

 

巨大提灯の下に潜り込み、見上げると金の龍が舞い降りて来たのかと思える彫刻が施されている。オシャレ。

龍の門です。

 

さらに人混みは続き、先が見えないが、

仲見世通りの統一された店の看板が続き、小さな赤い提灯が連なる。

この統一感がいいんだな。

電柱も地下に埋められスッキリ美しい。

伊勢神宮の門前のおかげ横丁の成功も、石畳に電柱地下化、車から歩ける通りになってから復活。

これ重要じゃね。

日本で最初の商店街。

外国人が喜ぶ、カタカナ、漢字で書かれたTシャツに、派手もの着物にぞうり、

おもちゃの刀に、ハッピ。

みんな絵になる。

せんべい、きな粉餅、揚げまんじゅう、芋羊羹、人形焼き。

仲見世通りには、人を集める全てが揃っている。

 

THE、これぞ観光。

光り輝くものを観に行く。

 

ワイワイガヤガヤ感がとってもいい。

遊園地もガラガラではちょっと寂しくてつまらない。

しかし、仲見世通りは、夜のガラガラでもいい雰囲気が漂う。

雷門からライトアップされていて、浮き出たように光輝く。

仲見世通りも、人で見えなかった石畳が現れ、ライトに照らされる。静かになった店がシャッター通になるのだが、左右の店のシャッターには浅草絵巻が描かれていて伝統の中を歩ける。

先には、雷門よりさらに大きな宝蔵門が姿を現す。

門の中央には小舟町と大きな提灯がライトアップして浮き出ている。

巨大提灯の左右にも大きなわらじもライトアップされ、寺の広がり感、一気に夜景といった雰囲気になる。

この一連の雷門、仲見世通り、宝蔵門と昼の雑踏と夜の静かな灯りとの対比がいい。

 

宝蔵門と言われるだけあり、寺の宝物が保存されている。

法華経10巻 金箔が施された超豪華版。

国宝を所蔵。

流石、重要経典をまもっている観音霊場。

宝蔵門からライトアップされた五重塔がみえ、

宝蔵門からライトアップされた東京スカイツリーも見える。

新旧タワーが対比も美しい。

にっぽんならではの景観が光り輝く。

 

全国探しても夜の11時まで、ライトアップされる三十三観音霊場はここしかない。

他なら山奥で真っ暗、拝観時間も終わっており怖い。恐怖だよ。

 

最後に本堂(観音堂)が待ち受ける。

アメリカに空襲を受けなければ、五重塔も本堂も国宝だったのに。

戦争に負けて本当に悔しい。

ご本尊は、地下に隠されて無事だったものの伽藍は失われた。

この国は、この寺は、何があっても立ち直る。

再建に再建にと何度も蘇り光り輝く。

観音様の功徳が続く限り。

日中、線香のモクモクに、人のモクモクと巨大賽銭箱にと巨大屋根の下、喧噪の楽しさの中、手を合わせられることに感謝。

ライトアップされると神秘的になり、秘仏見えない観音様から光り輝いているかのように感じる。

効徳は、浅草の街を見渡せは、活気を見れば効き目抜群とわかるでしょう。

分野問わず救ってくださる。

江戸の庶民を、外国人まで受け入れてくれる観音様はないでしょう。

観音様を、スポーツに例えると、サッカーだな。

最もメジャーなスポーツ。

収容人数も

桁外れ。

テニスや卓球ではない。

5万人や10万人相手だ。

なので、庶民をどこまでも拾って、更に楽しませてくれる。

 

聖観音菩薩。

 

観音菩薩の基本中の基本の聖観音

観音信仰のど真ん中を歩み続ける。

 

御朱印は、隣の影向堂に17時までなので、ライトアップされる前に貰わないといけないが、昼間は、何かにつけて、正月、お盆に、毎月18日の観音縁日や、楽しめるイベントがほぼ毎日のように開催されているのでので、いつ行ってもイベントの中でご記帳してもらえるのが浅草寺かな。

毎日が縁日。

 

2020年は、コロナ渦中でありながら、浅草花やしきにも緊急事態宣言の合間を縫って遊びにもいけた。

観音様のおかげ。

でも、御朱印帳持っていくの忘れてしまってた。でもまた行けそう。

 

坂東三十三観音霊場の中で、東京はここ浅草のみ。坂東三十三ヶ寺を全部回ってわかったが、東京はやっぱ特殊だわ。

ウルトラ大都会。

浅草寺は凄いわ。

 

浅草寺からの帰りには、東武鉄道の特急スペーシアの予約をした。

しかしながら、出発まで中途半端な時間ができたので、その合間に、神谷バーでカフェがわりに電気ブランを頼む。

ヒレカツをアテに以前営業で連れて行かれた時の思い出に耽る。昼間にちょっとだけ飲むと身体に染み渡る。

店のワイワイと相まって楽しさに酔える。

これができるのも東京ならではかな。

まだまだ、したいこともあるが、家族は満足しているので帰宅へ。

次回、日光街道で栃木日光へ。

【0042】鉄道4線に囲まれる大提灯雷門

浅草寺へ地下鉄でアクセス


東武スカイツリーライン:浅草駅より徒歩5分
東京メトロ銀座線:浅草駅より徒歩5分
つくばエクスプレス:浅草駅より徒歩5分
都営地下鉄浅草線:浅草駅A4出口より徒歩5分

 

音霊場は辺鄙な山奥にあったりと、よく言うと、自然豊かな風光明媚なところが多い。

こんな徒歩5分圏内で、4本もの鉄道に囲まれている観音さんはいない。

今回は、上野から銀座線に乗って浅草に行ったが、他の時期にもなんだかんだで浅草寺には、よく行ってる。

包丁を買い替えに、かっぱ橋にいって食品サンプルを突きながらの後に、蔵前で花火買ったり、スカイツリーも、隅田川くだり、神谷バー電気ブランに、ホッピーどおり、花やしきに演芸、老舗喫茶のホットケーキ、もんじゃ焼き、亀十のどら焼き、うなぎにどぜう、江戸前鮨にすき焼き•••。キリがない。

 

「東京だよおっかさん」♪

3番の歌詞、

浅草寺への観光を歌っている。

 

達者で永生き するように ♪
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん ここがここが浅草よ
お祭りみたいに にぎやかね

 

浅草寺の年中行事


1月

修正会
新年大祈禱会
牛玉加持会
温座秘法陀羅尼会
正五九大護摩
2月

節分会
針供養会
涅槃会

天皇御誕生奉祝会
3月

戦災殉難者追悼法会
本尊示現会(金龍の舞)

春分
春季彼岸会仏生会花まつり
4月

白鷺の舞
十三参り

駒形堂大祭
浅草寺ご本尊さまご示現の聖地に建つ駒形堂にて、駒形堂ご本尊馬頭観世音菩薩さまの開扉法会が行われる
5月

宝の舞

正五九大護摩

6月

楊枝浄水加持会・百味供養会
華講会
7月

守本尊九尊仏法楽会
四万六千日(ほおずき市
盂蘭盆施餓鬼会
8月

万霊燈籠供養会
9月

秋季彼岸会
正五九大護摩
10月

十夜会
菊供養会
金龍の舞
写経供養会(十種供養)
11月

白鷺の舞
七五三加持会

12月

成道会

御宮殿御煤払・御宮殿開扉法要
納めの観音ご縁日
羽子板市
星供養会(星まつり)
除夜の鐘(点打供養会)
 

毎日が、お祭りなのか縁日なのか。イベント沢山ありすぎる。

 

門前町の枠を超えての、この町全体からの伝わってくる元気さ、活気、町を愛する気持ちからくるのだろう。日本中、世界ひろしといえども、宗教都市みたいなわかりやすいのでなく、うっすら繋がっているレベルに感じるのが日本らしいお寺の輪、観音様の慈悲、こんなに繁栄している都市は他では知らない。やはり、国にも街にも根底に無意識に届く安心感、愛情は必要。

その方が、人は元気になる。

元気な街になる。

 

宗教なんてという日本人も、毎年初詣しているように、これだけの集客力、観音様の念力なのか。それでも知らず知らずに幸せを願い、それに対する裏付けか、後押しか、何かと感じるものが1400年の歴史といい、ちょっと真似できないワンダーランドだ。

 

その入り口。

リニアになろうかとの時代に、人力車も待ち受ける門前。

そこには世界に知れた、

雷門が堂々と待ち構える。

なんと言っても赤い巨大提灯に圧倒される。

ロゴがいい。

雷門と大提灯がドドドンと迫ってくる。

上手く書くもんだなぁ。

天才だよ。

正式には、風雷門。

護まもるは、風神雷神だ。

ここで写真撮らずにはいられないでしょ。

 

飛行機のフリーペーパーに、観光写真に載っていて英字でSensoji Templeで紹介されてそう。

コントラストが、強めの雷門の写真が似合うだろうな。

このかっちょいい雷門は、意外と新しい。

昭和35年(1960)に松下電器産業(現パナソニック)創業者・松下幸之助氏の寄進により、再建とのこと。

流石、創業者の松下幸之助さんはかっちょいい。ここでも歴史に名を刻む。

神社仏閣は歴史を語りますからね。

本当は、こんな風に寄進できるようになりゃなきゃね。私なんか、お賽銭レベルでいつも申し訳ない。

そもそも、浅草寺拝観料無料だし。

ありがたい。

ホント慈悲ですね。

日本中探しても、今この現代で、リアルで、輝き続ける、パワーを放っている観音霊場はないでしょう。

ここにくるだけでも元気になれる。

唯の都会ではない。

次回、雷門を潜って、他の観音霊場には、真似できない浅草寺の世界へ。

【0041 観】大都会で味わう観音信仰 浅草寺

昭和32年歌謡

「東京だよおっかさん」

私は、生まれておりませんので、リアルには聴いてはおりませんが、

島倉千代子さんの歌声は、知っております。

終戦後の観光かな。

お母さんを連れての東京観光。

皇居の二重橋の記念写真は必修レベルに大事なんだろうな。

ここまでは、なんとなくわかる。

 

この歌詞に2番、3番があるのは知りませんでした。

 

1番、皇居を歌っています。

久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん ここがここが二重橋
記念の写真を とりましょうね

 

ここまでは、よく聴いたフレーズ。

東京観光で、生まれのうちのおかんも一応連れて喜ぶかなと行った具合です。

 

2番、靖国神社だろうな。
やさしかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん あれがあれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
さあさ着いた 着きました

 

こんな歌詞があったんですね。

日本の公共放送で放送禁止にしていたらしい。

GHQに、事実上はまだ占領されているってことでしょう。

ここは、なんとかしないと本当の幸せには程遠い。

悲しいかな令和になっても占領されている状態は続いている。

一般の18禁なら分かるが、こんな優しいこころを、歌えなく放送できないなんて、何を目指しているのやら。

 

3番も、家族の思いも言えなくなるような暮らしがどんな人を育てるようになるのか。

そうなると。

金だけが価値観なんかになって、観音様お願いします。

これでは、本来の日本ではない。

そんな国がいい国とは到底も思えない。

観音巡礼からでも戻さなくては。

 

このブログでは、観音巡礼なので3番に浅草観音が入っているところに注目したい。

 

3番、浅草寺への観光

達者で永生き するように
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん ここがここが浅草よ
お祭りみたいに にぎやかね

 

お母さんの長寿を歌では願っております。

浅草観音なのです。

戦後も浅草寺は、人がいっぱいだったんだろう。

 

2007年に、関東に引っ越す。

転職の為。

休みの日には、東京観光でいや関東巡りか。

日光行って、箱根行って、新宿、渋谷、原宿、

当時、六本木ヒルズ東京ミッドタウンなどなど物珍しさに色々と周る。

もちろん、外国人と同じで浅草寺も外すはずなく行く。

 

朱印帳を、めくると、

2009年1月11日

浅草寺へ行っている。

引っ越しして一年半過ぎたぐらいかな。

 

仲見世を抜けて、

この時、浅草名所七福神ののぼりが目に入る。

 

御朱印の暖簾が掛かる。

ふらふらと惹きつけられ、暖簾をくぐると、三十三観音御朱印帳が並ぶ。

坂東三十三観音霊場? 

あ、関東(坂東)でも観音霊場巡りがあるんだ。

ここで、初めて板東三十三観音霊場を知った。

坂東三十三観音霊場専用の御朱印帳も売っている。

欲しい。

買おうかな〜。

 

長女も2歳位なので、まだまだ御朱印の魅力は必要ない。境内の鳩を追っ掛け回すのに必死だ。

 

買おう。

早速買って記帳してもらう。

 

あ〜、久しぶりに記帳してもらった。

なんか嬉しい。

あ、これで関東観光にも心が入るような気がした。

板東という言葉の響きも気に入った。

 

どうしても地元とは思えない超高層ビル群の中で、働いて暮らしても、地に足が着いた気がしなっかった東京で、御朱印を記帳してもらっただけで、関東に暮らしてもいいよ言われたような気がした。

住んでもいいのかなと承認を得たような気がして安心した。

 

長女が、鳩を追っ掛け回すも、鳩は舐めきっている。

悠々と歩き餌を啄ばんでいる。

平和の象徴。

大都会の中で、年間3000万人とも言われる来訪者を集めるこの喧騒間でも癒されるこの空気感は浅草寺ならではないでしょうか。

まさしく、浅草寺、人も町も含めて全てがパワースポットに感じる。

東京の根底に流れるパワーの源。

街を支える力はここにあり。

 

でもその中心の中の中心。

パワーの源の中の源。

意外と知られていないのではないか。

本堂の中

聖観音菩薩。

浅草観音

これだけ、多くの参拝者を集めても、

正月なんて290万人とも

東京ドームでもコンサートでも5.7万人、どれだけすごい数かわからないぐらい参拝したとしても。

聖観音菩薩は、誰も見たことがない。

絶対秘仏

見ては行けない掟。

寺の住職でさえ見れない。

645年以来、誰も見れないまま2020年だよ。

見れなくても、

これだけの繁栄。

浅草観音さまのご利益がとんでもないことがわかる。

もし、観音さまがいなかったとしたらどうでしょうか。

こんな喧騒になっていただろうか。

 

次回、浅草寺をゆっくり巡る。

つづく。

【0040 観】東の都、東京繁栄の浅草寺

戦国の近江から京へのぼる出世街道を、そして千利休の堺へと実家巡り。

親の顔を見て、

関東へ帰路につく。

徳川江戸を通り過ぎて、日光の手前の栃木宇都宮まで帰宅は結構遠い〜。

 

西国から坂東へ。

 

翌年の2020年。 年初から徐々にコロナ騒動が湧き上がってくる。

武漢からとんでもないウイルスがやってくるとの噂が現実に。

中国発だけでも怖いのに、情報がいい加減なので尚更怖い。

そんな中、日本にも上陸?

コロナ大騒動に。

 

第一回 緊急事態宣言

2020年

4月7日〜5月25日

 

少し治まり、

7月22日〜GoToトラベルスタート(東京除く)

東京オリンピック

7月23日〜8月8日

 

10月1日〜GoToも東京も追加

 

10月6日〜11月29日に

東京国立博物館で特別展「桃山ー天下人100年」が開催されるだと。

 

これは見たい!

お江戸に行きたい。

 

振り返ると

12月には、高齢者自粛GoToキャンセル無料措置へが始まり、またしても外出自粛気味。

翌年、第二回 緊急事態宣言

1月8日〜3月21日まで、騒動は長期化。

 

コロナの騒動になって、ほんの僅かな隙間だな。

10月6日〜11月29日

東京国立博物館で特別展「桃山ー天下人100年」

今振り返るとよく行けたよな。

なにかと人が多い東京だし。

 

特別展の案内文からして心が震えた。

 

>室町時代末期から江戸時代初期にかけて、京都の都の移り変わる姿を描いた「洛中洛外図屛風」をプロローグとして、

 

狩野永徳がプロローグか〜。金色の雲から覗く都の姿。

豪華だな。

>狩野永徳長谷川等伯に代表される安土桃山時代の画家たちによる豪壮華麗な障屛画、

これだよこれ。

これが見たいんだよ。

>志野や織部に代表される意匠性優れた桃山茶陶、戦場でひときわ目立つ戦国武将の甲冑、高台寺蒔絵や世界へと視野を広げた南蛮美術など、

千利休から続く織部、いいね〜。

堺、南蛮だよ。

>安土桃山時代を特徴づける美術作品の数々によって、天下人が夢を追い求めた黄金の時代の造形が並びます。

見たい。

どうしても。

見たい。

自分自身が段々と歳を重ねてくると、好きなことだけしたくなってくる。

仕事や色々と追われて、自分を置き去りになりがちなってしまって、何がしたいのかもよくわからなくなってしまって、よくよく自分の行動を振り返ってみると、どうも私は絵が好きなようだ。

 

行くぞ勝手に、GoTo東博等伯

 

なんでも東京なんだよ。

こんな特別展は、全国にも巡業のように回れども、規模とっても数をとってもやっぱ東京だよな。

小さな頃に憧れた上野動物園のパンダに、図鑑好きだったので、国立科学博物館は行ってみたかったんだ。ここに上野の公園にあるんだ。

他にも、国立西洋美術館に、都立美術館などなどイベントだらけ。

 

長谷川等伯の出身地の能登の七尾に、等伯の作品はなかなから見られない。

わずかに企画展があるかなって感じ。

 

等伯のこれぞ国宝「松林図屏風」は、ここ、東京国立博物館が時々企画してくれる時にしか見られない。

 

今回の特別展。桃山100年。

狩野永徳vs長谷川等伯

あの金蘭豪華な屏風対決が並び、桃山美術が東京に集結、超絶かっこいい。

信長、秀吉の目指していた大胆かつ繊細な人生感を表す。

寺社に、御所に、聚楽第に、伏見城に、

なんでもあったのは、京の都。

 

でも今は、京は京でも東京なんだ。

 

信長、秀吉と来て、最後の最後は徳川家康に徳川家に落ち着く。

大阪の堀を埋められて、武力でお江戸東京が政府の中心に。

 

明治政府も、京都ではなく東京へ。

政治の中心に、首都としての風格が。

 

戦後もさらに、政治、芸術、文化、情報を圧倒。

東京一強。

 

東京、ここ上野恩寵公園都市公園の中で、最も早く整備されて昭和チックだったのが、また平成、令和となっも街が、どんどん再生されていく。

カフェひとつとっても、パークサイドカフェなど新しく変えられて、明るい感じ。

JR上野駅も再生中。

なんか、上野までおしゃれになってきている。

東北新幹線を乗って、宇都宮駅から上野の地下から上がって改札でてくると、

町の再生が眩しくて、空まで明るく見えるような気がする。

どんどん良くなるもんな。

まだまだ、東京一極が続くんだろうか。

この発展の基礎を作った、坂東に持ってきた家康の先見性はほんと恐れ入ります。

坂東と呼ばれた地、広い平野、水源、都市機能、今からだとわかるが、よく江戸に持ってきたな。

この東京の発展を、なんと飛鳥時代628年から見続けている観音様がいる。

日本初の地下鉄、上野から浅草まで約5分。

浅草寺、聖観世音菩薩が見守りつづけている。

 

坂東三十三観音霊場

第13番札所。金龍山 浅草寺

東京都唯一の霊場へ。

お江戸の時代からも大人気。

次回、地下鉄に乗って浅草寺へ。

 

【0039 観】都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)とかわけ投げ

唐門(国宝)から観音堂重要文化財)へ、船廊下(重要文化財)を渡って、つくぶすま、つくぶじま、ちくぶじま、竹生島神社、バンザイバンザイ。竹生島神社(都久夫須麻神社)へと歩む。

都久夫須麻神社の本殿もご立派。

本殿は、ここでも秀吉の伏見城の遺構。

移築している。

桃山時代のアートな造り。

桃山美術の本物。

金の装飾が使われ、特に、堂内の襖絵の草花図、天井には、菊•松•梅•桜•楓等、狩野永徳の息子、狩野光信が描いたと言われる。

そりゃ本殿も国宝だわな。

戦国のアート対決。

長谷川等伯vs狩野永徳と、

ブログで追ってきた双方の息子が、

長谷川久蔵vs狩野光信。

狩野光信の作まで繋がる。

信長の安土城、秀吉の伏見城、絢爛豪華な絵画絵師受注戦争。

もっと、残っていたらいいのだが、なかなか作品は残っていない。

残ってると貴重品。

国宝級。

 

ここ竹生島は、戦国の桃山美術が色濃く残っている。

神社仏教は、日本美術も伝える。

弁財天さまは、芸術の神でもあり相応しい。

御祭神は、

市杵島 比売 命

イチキシマ ヒメ ミコト

福岡の宗像大社の三女神のひとり。

福岡在住の頃は、何かあれば、七五三や初詣はいつも宗像大社でと、大好きな場所。

玄界灘の、沖ノ島から守る。

海の女神。

水にまつわる。

商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣。

弁財天と重ねられる。

 

境内もここまでくると、近江の海が広がる。

景色が水辺になる。

淡海。あはうみ、あふみ、おうみ。

琵琶湖と呼ばれるようになったのは、室町から江戸時代からのようで比較的新しい呼び名。

竹生島にまつられている弁財天の楽器の琵琶に湖の形が似ているから琵琶湖へと。

水辺といえば、もう一つ。

大事な神。

琵琶湖の水神。

龍神さま。

同じく祀られていて、竹生島龍神拝所がまっている。琵琶湖一面が見え、足元の先には湖面に突き出た鳥居が建つ。

 

竹生島アトラクション。

かわらけ投げ。

小さな土器のお皿。

二枚で一人分となっており300円。

1枚目に名前を書いて、2枚目には願い事を書く。

家族でそれぞれ書き、鳥居に向かう。

かわらかけを投げて、鳥居をくぐれば願い事が成就すると言われている。

長女が暑さが和らぎますようにと、願い事を投げるも届かず。

その後も、みんな願い事が成就せず。

ここは私が挽回するか。

琵琶湖に向かって投げるも足元に落ちる。

あぁ〜。

もう一枚、いけ〜。

成就せず。

 

水の神には届かず。

神頼みはひとまず置いて頑張って帰るか。

 

出航時間が中途半端だな。

ちょっと待たなきゃいけない。

カキ氷食べたいの圧力。

お店に入る。

長女が暑さが和らぎますようにと、かわらかけに書いた願い事が、

届いてないにも関わらずカキ氷のご褒美。

暑さ和らぎました。

 

きっと観音様がカキ氷を差し伸べてくれたのでしょう。

今日も南無観世音菩薩。

あぁ観音様、今日もありがとうございます。

さぁ帰ろう。

 

観音巡礼はつづく。次回東京へ。

【0038 観】神仏の島 弁財天に彩取られた水辺楽園と観音信仰

あれだけ小さく見えた竹生島が、近づくと山に見える。

潮風の匂いがしない。

淡水の空気感に爽やかな無臭感。

船着場から島内の僅かな入江に、おみやげ屋さんが並ぶ。

水辺で、淡い夏色の観光旅行の風情がいい。

カキ氷、アイスの案内が、

日差しと共に心に揺さぶりをかける。

店の前を通り抜けようとすると、早速うちの子はカキ氷のトラップにハマる。

 

「まずは、お参りしてからね」

 

甘味トラップをくぐり抜け、階段が立ちはだかる。

狭い島では崖のようだ。

階段を見上げたところに本堂がある。

 

そこには、島のメイン弁財天さまが鎮座する。

 

祈りの階段とはよく言ったもので、ハぁハァ。

人間工学に基づかない石段を、

一歩一歩で立ち止まりながら昇る。

 

観音様は、どこなんだ。

 

どこから寺でどこが神社か、混在化してるのでよくわからない。

観音様はどこにいらっしゃるのかな。

取り急ぎ、本堂の弁財天さまに向かって昇る。

 

弁財天は、元々インドの神を仏教が取り入れたもの。さらに日本神々とも合わさってパワーアップ。

神仏習合の見本。

元々色々な神や仏が混ざってるもんな。

弁財天さま自身が、日本の神から市杵嶋姫命(いちきしまひめ)水の神、海の神・子守の神・財宝の神・交通運輸の神・技芸の神。

インドヒンドゥーの女神サラスヴァティーから、水(湖)の神様で芸術・学問・知恵の神として仏教に取り入られて、

仏教では、仏を守る守護神の天部として弁才天と呼ばれ、日本に入って財宝の財が入って弁財天となっている。

総合してみると、

水辺に、

芸術に

財宝に

守護神で

女性に

知性。

が特長。

ご利益はかなりありそう。

 

琵琶湖にポツンと浮かぶ神の島。

 

竹生島が、それを表したかのように神と仏の一体化したワンダーランド。

 

本来、日本はこうでなくっちゃいけないよ。

寺が潰され、神社とわけられてしまった。明治期の廃仏毀釈が悔やまれる。

 

子供達は、

階段を楽勝に登り切り。

こちらは、遅れてやっとのことで階段を昇りきる。

デカイな。

本堂。

ご立派。

島のサイズからしたら、こんな立派な本堂があるんだ。

以前にも来たことがあるがもう忘れている。

改めていいな〜。

 

正面に大弁財天の提灯が掲げられており。

堂内の薄暗い中からのパワーが伺える

大だもんな。

弁財天の中でも、大(だい)はここだけ。弁財天の中の大弁財天。

 

堂内に入ると、赤い手のひらサイズのだるまで埋め尽くさせてる。

「弁財天様の幸願いダルマ、一体500円。」

中には、願い事を入れ奉納する。

こんなに一杯願い事、弁財天さまも受けるの大変だな。

その数不明。

めちゃめちゃある。

赤色がいい。

フォトジェニック。

インスタ映えってかんじ。

堂内左右には、弁財天坐像が奉納されて据えられている。

戦国武将の浅井長政の父も弁財天様を製作して奉納しているとのこと。

 

しかし、真正面の御本尊は伺えない。

閉ざされている。

隙間を除くもの暗くてよく見えないな。

秘仏

60年に一度にご開帳。

次回が2037年

一生に一度見れたらいいとこだよな。

仮に見れるとしても、船で渡らなきゃならない事を考えると、延人数も限られる。

最初で最後のチャンス。

巡り会えるかな。

2回見ようともうとすろと、6歳ぐらいで見られたとすると、記憶残るかな?次が66歳。20歳で機会に恵まれたとして、80歳だと寿命が迫ってるかも。30歳だと90歳にも、仮にも生きてても歩けるかなとなってくる。

前回が1967年ってことは、私だとすると次回を逃すと110歳超えなきゃいけない。

最新科学では、理論上120歳まで生きれるとのことだが・・・。

長野善光寺の御開帳イベントは有名だが、7年に一度。

これも超ビックイベントだが、ただこれはお前立ちと言われるレプリカで7年に一度。

御本尊は今だ誰も見たことがない秘仏

寺の人も見れない。

まだ、60年に1回でも御本尊見られるのでまだマシかな。

ほんと大事にされてきているってことか。

 

この時間の流れは貴重なだ。

逆らえない。

自分の人生なんて、この御開帳の時間軸をまえにすると、ほんの一瞬に思わされる。

 

戦国の武将 織田信長のドラマの最後といえば、明智光秀に寝込みを襲われ炎の中で白装束で演目の敦盛を舞って、炎の中に包まれていく。

「人間(じんかん)50年 

  下天(げてん)の内をくらぶれば

    夢幻のごとくなり

 一度生を受け 滅せぬもののあるべきか」

 

信長のすごい人生でも47歳の生涯。

これだけ凄い人物も人間亡くなるのです。

すごい人生も考えもかも。

 

燃え盛る中で、記録は取れないだろうから、言ったかどうかは本当のところは不明でしょうが、人の人生は高々50年、最近は伸びたといえども80年〜90年。

神や仏の感覚からは、確かに私の人生は誤差レベルに。

 

竹生島は、法厳寺は、1300年レベル。

歴史の積み重ねで語れるのがすごい。

これぞ日本。

創建は奈良時代。亀神元年724年。聖武天皇から続く。

特に戦国時代が熱い。

浅井vs天才信長、引き続ぐ秀吉の影響を受けた北近江(滋賀県)を語る。

 

歴史ある西国巡礼三十三ヶ所第30番札所でもある宝厳寺

 

そうそう観音様へ。

どこから行けばいいのか。小さい島ながら迷うな。

観音堂へ。

2013年から、残念ながら法厳寺の寺宝とも言える唐門、観音堂が修復工事中。

極彩色の唐門(国宝)

また今度だな。

綺麗になった、唐門に観音堂は安土桃山に戻してくれるのかな。

信長の建てた安土城はないし。秀吉の建てた大阪城も鉄筋コンクリートに変えられてる。

ただ、秀吉がたてた幻の大阪城の遺構が唯一残っているのがこの唐門。

なぜかここ竹生島に移築されている。

安土城大阪城も現物が残ってたらとんでもなく絢爛豪華だったろうな。

この安土桃山時代は、狩野永徳長谷川等伯の障壁画などから大胆で繊細で、すごかったろうな。

その片鱗がここだけ残されている。

 

唐門の裏には観音堂重要文化財)が隣接している。

西国巡礼の目指すところだ。

 

千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)

 

何もかも見守る千眼。

人々を漏らさず慈愛に満ちた救済をする。

 

お住まいの観音堂は修復中だ。

 

これもまた、たまたま今は修復しているから見られないけれど、

そもそも御本尊は伺えない。

閉ざされている。

秘仏

弁財天さんと同じ60年に一度にご開帳。

次回が2037年

一生に一回だな。

最初で最後のチャンス。

 

また来れるだろうか。

人生の楽しみの一つとして残しておこう。

 

千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂から

順路、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)へ。

神仏ワンダーランド最後のアトラクションへ。

渡り廊下でつながる。

 

神社へつながる渡り廊下が、

舟廊下と呼ばれ重要文化財

 

舟廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから舟廊下。

重要文化財で、繋ぐ。

学校の渡り廊下とはちょっと重みが違う。

これも唐門、お御堂と同時期に桃山様式で作られたもの。

ここまで宝厳寺

 

次回、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)へ。

【0037 観】北近江の戦国絵巻を残す 湖北竹生島法厳寺への船旅

前回からの続き、長谷川等伯の生きた時代へ。

 

長谷川等伯は絵師として京都に上る。

私たちも、家族で妻の実家を目指して京都に上

る。

 

能登から京都に向かう途中、また寄り道して、北近江(滋賀県)の神と仏の竹生島に寄って行くことにする。

竹生島は、琵琶湖の中に浮かぶ神秘の島

パワースポット。

戦国武将達にも愛されていた。

西国巡礼三十三ヶ所第30番札所でもある宝厳寺があり、観音様にも会える。

 

長谷川等伯の時代、北近江(滋賀県)は、織田信長と絡む戦国武将が群雄割拠していた。

 

織田信長が、尾張(愛知、岐阜県)に出現。

京都へと西にへと進出。

京都までの通り道、琵琶湖、滋賀県が激アツの戦いの場に。

寺院も武装化

加賀一向一揆などにみられるように、町ごとに団結して武装していた。

 

旅路は安全は大丈夫だったのだろうか?

不安だ。

 

そんな時こそ。

 

「南無観世音菩薩」と一心称名(しょうみょう)。

 

観音経を唱えれば‥‥。

 

悪人どもに追われ、高い山から落ちても、この観音の救いを心から念ずれば、髪の毛一本傷つかない。


また強盗に囲まれ刀で殺されそうになっても、観音の救いを心から念ずれば、彼らの心はたちまち優しくなってしまう。


あるいは国王に捕えられ、刑場で処刑されそうになっても、この観音の救いを心から念ずれば、刀がばらばらに折れてしまう。


あるいは牢屋に入れられ、鎖につながれても、この観音の救いを心から念ずれば、たちまちに鎖は解けて自由となる。

 

これら観音経に、こんな功徳が書かれているのだ。戦国の世にはピッタリ。

現代訳だとマンガの世界だな。

 

しかし、この現代まで未だ生き続けている教えなのだ。

日本で長く広く愛されている教典。

 

でも。何気なくこの戦後の日本においては、ありえないことと感じるかもしれないが、よくよく考えてみると、私たちの安全な旅路も、いつ交通事故に遭うかもしれない。

地震があるかも知れない。

ミサイルも飛んできている。

 

旅行、遊び、恋愛、習い事、仕事にしても前に進むには、勇気がいる。

挫折するかも知れない。

事故で体ではなく、心が傷つくかも知れない。

 

事故がないと思いこんでいるだけで、前に進めているだけかも知れない。

 

同じタイミングに生きていてる他の国では戦中でもあるわけで、たまたまこの場所が平和なだけかも知れない。

 

ちょっとしたことで、平和すぎる故に、家族関係、仕事、病気、友人、恋人のことで前に進めなくなることも。

 

そんな時の自分を支えてくれるものかあるのかないのか。

信じるものがあるのかないのか。

 

こころへの支えがあるから一歩前へ再度歩きだけさせる。

 

戦国の世。武士といえども人間だから、観音様の慈悲に限らずとも信じるものがなくては、一歩たりとも外には出られないのではないか。

好き好んで、危ないことに会いたい奴はいない。

観音経は、一見、奇想天外なものの感じるかもしれないが、現代でも何かしら大丈夫だと信じているから家の外に出られるのであって、そうでなければ一歩も外には出られない。

何気なく立つことさえ、無意識に立てると思っているから立てているのであって、アルプスの少女ハイジの親友クララも立てないと思い込めば立てない。

立てると思えば立てる。

何かしら無意識に信じるものがなければ、ひきこもりにもなりかねない。

危ないことを避ける基本防衛本能は重要だ。

ただ、ある程度防衛も働かなくてはならないが、ありもしないものを想像してしまい働きすぎる毛らいもある。

安全思考も度が過ぎれば、鬱とも診断される。

 

そんな時、観音経は勇気をくれる。

唱えた人しかわからない。

勇気が湧く。

唱えた人しかわからない不思議。

観音様の力のか?

 

何事もやってみなければ、どうなるかなんて分からない。

できるかも、という僅なものでもいいのだ。

後押し。

信じれる心が必要だ。

 

長谷川等伯は、何を信じて、勇気を持って京都に上っただろうか。

立身出世に突き動かしたものは何か?

 

戦国の武将も、負ければ死を覚悟しなければならない。できれば戦わず成功を手に入れたかっただろう。

そうもいかない時代、自分だけではどうにもならない時の流れの中、勇気を振り絞って出陣しなければならなかっただろう。

 

リングに上がったボクサーは、平和を思おうとも疲れて休んでいたら、相手が殴ってくるのだから休めない。戦国の武将は、レフリーもいない世界。やるかやられるか。最後までとどめを刺すか刺さないか。

 

死と背中合わせに、生きるという消せない本能の欲と絡み合う戦国の世は、人間の全てを曝け出す、そして能力をも最大限に引き出す。 

 

生きる象徴でもある安土桃山時代の絢爛豪華な金箔が溢れ出る絵画から、死を覚悟する詫び寂びの大成の千利休の茶道などなど、生きる死ぬの本気度。

アートな時代。

 

長谷川等伯(1539〜1610)の生まれた年を中心に、前後に生まれた北陸・近江に絡む戦国武将と重要人物を生没見てみると。

そうそうたる人生を歩んだ人物が並ぶ。

 

生まれ順に並べみる。

 

みんな命掛けで生きてる。

 

生まれ年順。

 

柴田勝家(1522?〜1583)

織田家宿老、信長の元、越前(福井県)や近江(滋賀県)も転戦、味方であり、最後は敵であった近江の戦国大名浅井長政を、浅井家を信長の元で滅ぼし、越前を治める。信長の妹であり、浅井長政の継嫁でもあるお市を正妻に、信長亡き後の後継争いで秀吉に敗れ、お市の方と共に最後は自害。

 

千利休 (1522〜1591)

侘び茶の大成者。堺で生まれ、信長から秀吉からも茶堂として召し抱えられる。超一級の文化人。最後は秀吉との関係が悪化して、切腹させられれる。

長谷川等伯 の描いたと言われる「千利休像」からも、関係性が窺える。時代のトップまで昇り詰めた文化人としてのプライド高き生き様が考えさせられる。

 

朝倉義景(1533〜1573) 

越前(福井県)の守護大名、信長に対抗して浅井家と同盟。一時は信長を窮地に追い込むが、浅井家を滅亡させた後の信長の前では、名門もあっけなく攻め落とされる。最後は味方にも逃げられ自害。

 

織田信長(1534〜1583)

桶狭間の戦い等、説明要らず。

美濃岐阜を統一。浅井家と同盟と戦い苦戦しながらも、浅井朝倉軍を撃破、比叡山の衆徒は浅井朝倉軍の味方をして焼き打ちに合うが、北近江浅井に位置する竹生島宝厳寺には、なぜが庇護している記録もあり。

近江(滋賀県)に安土城築城。

あと一歩で天下統一のところ、京都本能寺で明智光秀の謀反で討たれる。

日本史の中でも、大河ドラマに最も相応しいドラマチックな人生。

 

豊臣秀吉(1537〜1598)

信長の元、頭角を表して近江(滋賀県)を与えられる。不細工で、身分も分からず、草履取りから、信長亡き後、大阪城をも築き天下統一。

これぞ戦国の下剋上

太政大臣まで出世。貴族だよ。

立身出世の人生。

秀吉の正室寧々(豊臣家)が、竹生島宝厳寺とは再建など関係は深い。大阪城にあった極楽橋が法厳寺に移築されている。

 

長谷川等伯(1539〜1610)vs狩野永徳(1543〜1590) 

日本最大の絵師集団、基礎を築いた狩野元信から英才教育を受けるサラブレット狩野永徳。信長、秀吉と時の権力者から安土城大阪城、秀吉の京都邸宅の聚楽第などの障壁画を一手に受ける。そこに能登から天才絵師長谷川等伯が受注競争に割ってはいる。絵師の中でも下剋上の機運の長谷川一派vs守るは狩野一派の激突。永徳が立ちはだかる苦心の為か48歳の若さで亡くなる。過労死とも言われる。

残る等伯は、永徳没後も筆をとり続け享年72歳。

絵師集団を率いて突き進んだ人生は、残された絵画からも迫力が伝わります。

共に、日蓮宗のお寺にお墓があり、法華経、観音経にと出世街道を歩いたのではないかと勝手に思っております。

 

浅井長政(1545〜1573)

北近江の戦国武将。竹生島は浅井姫伝説が残り、浅井名前からも深い縁で氏子でもあり、浅井長政ともゆかり深い。

織田信長の妹、お市の方を妻に迎え、同盟も結び浅井家の発展に尽くすも。

朝倉家との関係からか?信長との同盟を破棄。

信長に姉川の合戦で敗れ、小谷城で追い詰めれら自害。

 

お市の方(1547〜1583)

信長の妹であり、浅井長政の妻。

織田、浅井家の同盟関係から浅井長政に輿入れ。

浅井長政が同盟破棄するも、お市の方織田家に帰らず長政と共にするも信長に攻められ夫は自害。

織田軍に3人の娘と救出され、信長死後に織田家家臣の柴田勝家に嫁ぐ、勝家が秀吉と対立。

賤ヶ岳の戦いで夫の勝家が敗走、越前北ノ庄城で夫が自害するのと共にする。

天下一の美人と言われドラマ性たっぷりの人生。

 

長浜港から琵琶湖汽船に乗って竹生島に向かう。

静かな湖北の湖面から平和な巡礼から今の私の人生と比べる必要もないが、比較すると皆壮絶な人生。

「南無観世音菩薩」

と危機に一心称名(しょうみょう)

でななく、

この旅行している状況に

「南無観世音菩薩」

感謝。

 

30分もすれば、竹生島が見えてくる。

湖北にポツンと浮かぶ島の姿はほんと神々しい。

 

島のほんの僅かな隙間だけ、

船の停泊場所がある。

あとは木々に埋まっている。

下船の準備だ。

西国巡礼三十三ヶ所第30番札所でもある宝厳寺は目の前へ。