三十三観音巡礼  非公式サイト(煩悩充実日記)

充笹の営業、経営、教育、健康、恋愛、愛情、旅、グルメ、神社、朱印帳、温泉、いいこと一杯!観音様の慈悲へ感謝の実記録

【0036 観】法華経と上京、長谷川等伯の旅路

前回からの続きから、法華経は、勝手な解釈かをすると、挑戦する勇気の後ろ盾になるなではないか。戦国の世、世に出る出世する為にはとてもいい経典と思う。

仕事も責任感も出る立場になって、悩みや能力以上の結果を求められるようになって、色々な本を回り回って、チラッと仏教の本をかじりだすと、お葬式の呪文ではなく、経典やお経が、生きている人への教えが本来の趣旨なんだとわかってきた。

今までは、死んだ者への供養かと。

墓参りで、なみあむだぶつの呪文風に唱えたばかりなので尚更思う。

実は違っていたんだとは、お釈迦様の教え、この世の仕組みに、ハッピーに生きる為の極意書なんだ。

死と生きる為の究極の理解へ。

複雑な世の仕組みの理解と論理。

あ、わかった!

生きていく為へ。

覚り、悟りへの導き。

経典は人生の指南書であり、その中でも、法華経は、元気一杯に生きている人に悟りを開かせ人生の成功に導く、今生きている現世に役立つ自己啓発本の巻ってところだろうか。

一般に、社会に出て能力が高く、自分の力を発揮できる人、ベンチャー企業の社長など法華経の指南書がとってもいいんじゃないかな。戦国の世なら町人衆や武将など、自分の力で勝ち上がる人だろうな。そういう意味でも長谷川等伯には、法華経の指南書はピッタリ当てはまる人生と思う。

長谷川等伯が、七尾から京都の都に出て絵描きとして立身出世していく、安土桃山時代のトップ、いや日本歴代最高峰といえる絵師軍団の狩野派の総帥、狩野永徳にガチンコで有力社寺から戦国大名からと絵画の受注競争を繰り広げる。

受けて立つ方狩野永徳も、チャレンジしていく長谷川等伯側も、このような頑張る人たちには法華経の教えが強力に後ろ盾となっているのではないだろか。力強い教えがライバル同士の激突によって途轍もなく力強い絵画を世に生み出していく。

のちの国宝となるまで互いに頂点を極める。

 

戦国の世の中、長谷川等伯は、石川県能登七尾から旅立つのである。

 

私もならって旅立つのである。

 

旅立つに当たって、安部龍太郎さんが描いた小説「等伯(上)」のストーリーが面白い。長谷川等伯がとある事件に巻き込まれて、長谷川家から追放され七尾の故郷を追われてしまう。そして、戦乱の中、京都の都に上る。絵師として駆け上がる歴史小説、謎が多き長谷川等伯の人生が、小説だけあってドラマチックに描かれていてとても面白かった。

 

小説の趣旨からずれるのですが、等伯が石川県の七尾から京都に向かうルートと現代と比較が面白い。このブログは、観音巡礼なので昔の旅のルートに興味を惹かれる。

等伯が、実際に通ったかどうかは置いておいて、事件に巻き込まれた等伯が妻子と都(京都)に向かうルートが小説で描かれていて、七尾から能登半島陸路を、千野、江曽、二宮と陸路をたどり芹川にいたる。

確かに地図にある。

今ならJR七尾線の感じかも。七尾駅から二宮駅で下車するみたいなものか。

ここで川舟に乗り換えるのも面白い。

芹川が長曽川となりくだっていける。

これ昔の有料高速道路だな。

間もなく広々とした湖にでる。あ、確かに能登半島西岸の羽咋(はくい)までつづく邑知潟(おうちがた)に川が流れていく、今はほとんど埋め立てて平野化しているが、水運の大動脈だったんだ。

邑知潟からは羽咋川を通ってすぐに海にでられる。

日本海が広がる。

羽咋川の河口右側には、能登国一宮の気多大社が鎮座しており、その先には、等伯仏画を残している日蓮宗の北陸本山妙成寺もあり。

左側には自動車でも砂浜を走れる渚ドライブウェイの千里浜、等伯の松林図屏風ではないが、砂浜と松林がつづく。

七尾から羽咋(はくい)まで、朝に七尾を出発すれば夕方には羽咋に着く。

なるほど、なるほど、そんなルートがあったのか。能登の西岸からみる夕日はめちゃくちゃ美しかったろうな。

能登羽咋(はくい)から船に乗って、日本海の海で越前(福井県敦賀港に入るルート。これなら風がよければ早いよな。

越前(福井県敦賀に到着すると、越前国一宮気比神宮が待ち受ける。

能登一宮から越前の一宮へ。

氣多大社から氣比神宮

神様の「氣」の旅にも感じる。

ここから、再び北国街道が現れる。

善光寺からの信州北国街道。

越前(福井県)と近江(滋賀県)を結ぶ北国街道。

今回の旅は、2つの北国街道で繫がっている。

昔のルートでは、北国街道から琵琶湖最北端にある塩津港があり、そこから船で大津へ。

なるほど。

こちらも風向きがよければ琵琶湖を一気に大津まで行ける。

もう京都は目の前だ。

京都山科を抜けて、東海道の都への入り口の粟田口から上るのか。

京都と七尾が、海路で風がよければ、川と海と湖のおかげで意外と近い距離に感じたかもしれない。

 

今は、北陸自動車道で陸路の愛想ないが車を走らせれば直ぐだ。もしくは、JR西日本の特急サンダーバードで4時間前後で京都に入れる。

昔のルートには風情があるな。

川に船に海に山に琵琶湖に。

今、仮に昔のルートで行くと贅沢な旅だ。

 

私は、スタートの七尾時点で既に寄り道して、日本一の温泉旅館「加賀屋」さんのすぐ側、七尾湾の波打ち際に建つカフェ「ル ミュゼ ドゥ アッシュ」に立ち寄る。

このカフェは、クープ・デュ・モンドなどの洋菓子の世界大会に日本代表にもなり、数々のコンクールを受賞して、オーナーパティシエ・ショコラティエとして、上京して大成功している七尾出身の辻口博啓(つじぐちひろのぶ)さんのお店だ。

「ル ミュゼ ドゥ アッシュ」は、ミュージアムも併設されていてケーキも販売している

ミュージアムには、辻口語録としてなんと、

「ライバルは等伯だ」と掲げられているではないか。

辻口さんが身をもって体験されてきたであろう夢と努力は、スイーツも頂点を極めればアートであり、立身出世は確かに等伯と重なる。

 

七尾湾の波打ちの音。

潮風にケーキに珈琲を飲んで癒しすぎた。

 

さぁ、私たちも西国に旅立たなきゃ。

 

石川県七尾で、何事も極めればアートを感じながら、今度は羽咋市(はくいし)千里浜なぎさドライブウェイで、またもや地元グルメに捕まる。

千里浜名物、練り物「いかだんご」を食べ、花より団子となる。

ここより美しい砂浜がずっと続いていく。

 

爽快に潮風に中、車を走らす。

砂浜の上、日本海の波をすり抜けるドライブは最高に気持ちいい。

砂浜は延々と続き、焼きハマグリ屋が点々と並ぶ。またもや我慢できるわけなく、浜茶屋に吸い込まれハマグリを焼く醤油の香りと味に卒倒する。

世界一をめざす人たちとは程お遠い旅路。

 

ただ、こんな日常が世界一幸せかもしれない。

 

グルメトラップにすべて捕まりながら、やっとのことで金沢(加賀)インターまでたどり着き北陸自動車道に乗って越前(福井)そして近江、京都に近い海、滋賀県琵琶湖へと車を進める。

目指すは、北陸自動車道の長浜インター。

そして、

北国街道から

琵琶湖長浜港へ。

琵琶湖の最北にぽつんと神秘的に浮かんでいる竹生島

そこは、神と仏の島。

乗船して西国三十三ヶ所第30番札所 宝厳寺がある。

 

次回、長谷川等伯と北陸近江の戦国絵巻へ。

【0035 観】観音経、長谷川等伯から戦国へ

墓参りも済ませて、おみやげ見たりするのはよく七尾の町まで出かける。

おみやげ買うのも楽しみのひとつだ。

あちらこちらと転勤や旅行をしていて、石川県は日本有数のグルメ県と思う。

美味しいみやげには目移りする。

真冬の寒ブリの刺身なんて口の中に入れると脂が消えてなくなるようだ。今まで食べたブリは本当にブリだったんだろうかと疑ってしまう。メスのズワイガイニがこちらではセコガニと呼ばれている。甲羅の中にある卵が内子に腹部の外子。これが又美味で普段こんなもの見たことない。

とにかく、珍しいものが多い。能登は塩もとれて新鮮な鰯からいしる(魚醤)を、ぬか漬けにして鰯のコンカ漬け、フグもぬか漬けにして、猛毒の卵巣までも食べられるようにしてしまう。まだまだ、ナマコから超高級食材のくちこ、どれもこれも珍味で酒の肴には嵌ると、とんでもなく日本酒がススム。もしくは白ご飯が進んでしまう。

七尾の町にある能登の海鮮食材を販売している「しら井」さんに寄って、とろろ昆布などなどを買いに行く。

昆布を鉋(カンナ)で挽いたような、透き通るとろろ昆布を口の中にいれると、昆布の香りが淡く現れ消えていく。ニシンの昆布巻きに、ブリ巻きにと美味しすぎる。

 穏やかな湾内に港を持つ七尾は、日本海の有数の寄港地であり、大坂、京都へ運ぶ北前船の重要地だったのが、おみやげの昆布などからもうかがえる。

 

戦国の世に戻すと、七尾は畠山氏からになるだろう。

畠山氏は、室町時代には室町将軍に次ぐナンバー2の三管領家となり、斯波氏、細川氏に割って入って、室町幕府の政務を預かる守護として、重要拠点の県知事みたなものか、大和(奈良県の一部)、河内町(大阪の東部)、紀伊(和歌山)、近畿圏の重要な周辺都市。北陸越中、分家は能登の守護としても任されるようになる。

三管領家に四識(赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏)をも含め、有力守護大名家督争いからズルズルと応仁の乱(1467年〜1477)と発展し長引き、更に将軍家も交え、公家も交え最終東西を二分する戦いになり、京都の町は焼け野原となる激しい戦いも、誰も勝者がないグダグダ決着。公家の荘園は没落、地域の管理もグダグダ化、一揆や町自身の自立自衛と、戦国の世の切っ掛けになっていく。

その後、能登畠山氏は、7代目畠山義総(よしふさ)1515年〜1545年が各地の一向一揆をまとめ上げ、守護大名から戦国大名と世の変化に対応。難攻不落の山城七尾城をリニューアルし都市再設計。城下町には商人や手工業者も集まり、義総(よしふさ)が文化教養の理解もあったことから戦乱から逃れてきた文化人をももてなし、軍事、商業、文化と能登七尾の繁栄を迎える。

その時に、ひとりの絵師、長谷川等伯がここ能登七尾で1539年に出生される。

戦国の時代に突入する時代だ。

のちに日本最高峰と言っても全然過言でない水墨画、国宝「松林図屏風」を描いた天才だ。

一度は実物を見てみたいと思う日本画のひとつだ。

たった数本の松を、白と黒の濃淡だけで描かれている屏風なのだが、なんとも言え気持ちになる。白黒濃淡だけだで幽玄な空気感、400年も前とは感じられない時空があらわれる。屏風という平面の紙なのに、見る見る松の林に吸い込まれていく、どこまでも奥深いのだろうか、幽玄な霧の中にココロまでも吸い込まれる。

実物でなくとも、美術図鑑の写真からでも十分感じてしまう。

どこで、いったいどの松を描いたのだろうか?この濃密な湿った空気感は、等伯が育った能登の沿岸の松林ではないのだろうか。この日本独特の空気感までこの絵から嗅げる。海外の絵画では絶対に出会えないグレートな作品だ。そりゃ国宝になるわな。

なんとも言えない物寂しさと淡い朝霧のような明るさは、見る側のココロまでも浮かび上がらせ、自分自身を投影してしまう。なので、人それぞれの味方、タイミング、年齢によっても変わるだろう。今は、墓参り後であり、折り返しを超えた自分の年齢からか?

死を迎える物寂しい気持ちが

浮かび上がってくる。

死に対しての悟り。 

生きることの悟り。

この絵には、仏教の極意の悟りまで到達したような感じがする。仏を描かずとも仏画ではないか。

 

長谷川等伯は、畠山氏の下級家臣、奥村家の子として生まれ、長谷川家に養子に出されて長谷川姓となり、仏絵師として長谷川春信として、北陸地方の寺院に名前が知れ渡っていくていく。

絵師の仕事として、七尾の生家の菩提寺、本延寺(ほんねんじ)では木造の日蓮聖人座像の彩色、能登羽咋(はくい)にある妙成寺(みょうじょうじ)に、「日乗上人画像」、「仏涅槃図」でいずれも日蓮宗関連のお寺で多く残されている。

この日蓮宗は、開祖の日蓮さんが法華経こそが絶対の経典と信じ切って布教し、もともとは法華宗と言われていた。今では、法華宗の名前が日蓮宗となれども、後世に法華経を信仰の柱にした分派が多く残ることとなった。そもそもそも法華経は「妙法蓮華経」が正式名で、日蓮でなくとも古い時代から聖徳太子天台宗最澄にと日本仏教会の中心にあり続けた大人気経典だ。その法華経の一部が、一部の章が「観世音菩薩普門品(ふもんぼん)」であり、「妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品 第二十五」。普=あまねく。門=扉が開いている。広く衆生を済度しようとする広大な慈悲の門を開いている。品(ほん)=章。法華経の二十五章。普門品=観音力であまねく広大に衆生を救おうとする慈悲の章。このブログの観音力を称え上げる最重要な根拠元でもあり、法華経の中でも人気の章。この品=章をピックアップして、あたかも独立した経典のように扱って「観音経」として扱われてきたが、法華経の一部なのだ。ただ、「妙法蓮華経」があって観音経だが、観音経の人気が「妙法蓮華経」の人気を高めているとも言えるのではなかろうか。

長谷川等伯は、想像だが法華経に観音様にその経典の真髄を掴んでいた人ではないか

法華経の経典の教えは、いい絵を描くのもしかり、商売繁盛に、危険な時の助け、さまざまな功徳の教えがあり、この三十三観音霊場巡りの重要なエッセンスでもあるにも関わらず、法華経を知る機会もなく、知らない人の方が多いのではなかろうか。

私がその代表者と言える。

南無、妙、法、蓮、華、経、なんみょうほうれんげきょ、呪文かと思って意味は知らなかった。

知っても、知らなくても別に巡礼には支障はないといえど、唱えれば結構元気になれるこの観音経。

巡礼にも華が添えられるのではないか。

 

観音経。

美術。

戦国の世。

寺には記録されている。

巡礼、旅のエッセンス。

 

長谷川等伯が、京の都に絵師として、腕一本で、巨大絵師グループの総帥、狩野永徳に立ち向かう様。

人生を掛けて、

北陸能登七尾から、

京の都に旅立つ。

その姿にに掛けて、

憧れて、

平和な世の我々は、関西の西国霊場へと、おみげも買ったし、妻の実家の京に向かおう。

戦国の世を思いながら北国街道へ。

次回へつづく。

【0034 観】お礼参りから能登墓参りの北陸旅

善光寺への坂東三十三ヶ寺の結願(けちがん)のお礼参りは、石川県能登半島にある私の父へ久しぶりの墓参りへの豪華な寄り道でもあって、本来の目的である父が眠る能登方向に車を向ける。

関西からは、姉の家族と共に母も車に乗せて同じく墓参りに向かってくる予定だ。

能登半島の墓守をしてもらっている叔父さんの家で久しぶりに顔を合わせられる。

観音巡礼からすると、私たちは関東(坂東)から、姉たちは関西(西国)からそれぞれ北陸の石川県能登半島に向かう。

家族で全員集れるタイミングを作るのも中々難しいものだ。特別な待ち合わせ地点を用意してくれるのも観音様の粋な計らいかもしれない。

亡くなった父から孫まで全員集合できるなんてそうそうない。

観音様のありがたい慈悲バワーなのだろう?

としか考えられなくなっている自分もいる。

 

坂東三十三ヶ寺の観音さまの結願(けちがん)と善光寺の線香と、かわいい娘をお土産にして、北国街道を並行する上越自動車道を安全運転で目指す。

北アルプスの誉れ高い山々、黒部渓谷などに通せんぼされるので、新潟県から富山県にと、北陸街道を遠回りに廻り道するように進む。

一直線に長野から石川県には進めない。

トラックの長距離ドライバー気取りで運転に集中する。

 

栃木からスタートして、昔の地名なら下野(しもつけ)、上野(こうずけ)、信州で寄り道した北向観音善光寺、越後、越中から能登に向かう。古いの地名の方が巡礼にはよく似合う。あんちょこに歴史家気分に浸れる。車も更に進ませ越中富山で方向を変え、能登半島に入って行く。寒ぶりで有名な氷見漁港の脇を通り抜けて、今は能越自動車道も出来ており、石川県能登七尾まで一気に進める。戦国、江戸時代は、どんな旅だったのだろうか?馬?舟?カゴ?歩き?

歴史の本を引っ張り出して読んでいると、日本国中、思ってた以上に人の移動は頻繁に行われているような気がする。古い神社やお寺の広がり、観音霊場も日本各地に散らばっているもんな。江戸時代だと街道も整備されていて電話はないが、手紙も各地に江戸からは数日で届いている。巡礼の旅も盛んだ。

日常徒歩が中心だとすると、峠越えはともかく平地は楽勝で歩いていたんだろうか。

私なんかコンビニ行くのも車だもんな。徒歩で巡礼は気が遠くなる。このレベルの私でも、今や車や電車を使えば日本各地の巡礼もできる。戦乱も一揆もなく関所もない。

巡礼には幸せな時代だ。

 

七尾市は、能登半島を左手の人差し指に例えると、軽く指を曲げる関節中頃にある。そこから30分位、車を走らせると父の墓がある。両親の実家もあり両親の地元だ。

夜中から出て、豪華な寄り道しすぎでやっと夕方に到着。

まる半日かけてきたが、以前と変わらない景色が待っていた。

懐かしいまでもいかないが、ホッとする。

久しぶりに叔父さん家だ。

 

みんな歳とったな〜と、当たり前の感想が浮かぶ。昔からお世話になった叔父さんの家では、子供の頃の感覚に戻される。

何故か10歳前後なんだ。

子供の頃、叔父さんの歳を越えるなんて想像もしなかったよな。既に私がその歳を超えているんだから驚きだ。

落ち着いて考えるとかなりショック度は高い。

おそらく、自分の死も感じるような歳になってきいるからかもしれない。心の奥に、漠然とした不安感はあるよな?

しかし、まぁ無事に今までよく生きてきたんだな〜と感心をもすることも多いが…。

父も早く亡くなって、色々と人生あったりでもなんとかここまできたもんな。生きて生活できてるだけも当時を考えると奇跡だなぁと思うところもあるし。

ホッとしたいところだが、人生の折り返し地点の歳を過ぎると加速度的に一年一年があっという間に過ぎる。何なんだろうねこの速さ。

墓に入っている父の歳をも超えた。

このペースだともう自分も準備しなくちゃいけない。

みんな年齢を重ねてきて、もう叔父さんの歳からしても墓守も頼めないし、子供は二人とも娘だし。跡取りの息子も今更生まれないし、養子取る程の家でもない。墓じまいしなくてはならないかな〜。

能登に、そうそう娘も来れるとは思えない。下手すると、羽田からグァムの方が近いかも。難しい課題だが、私がやらなきゃいけない。

墓じまい。

 

姉たちも到着。

母のばあちゃんも、何とか連れてきて貰えた。

もう、ばぁちゃん一人では墓参りは無理だよな。キーホルダーのマスコットみたいに座ってるし。

む〜。

日本人は遺骨は特に大事にするから、先祖供養は何となくほったらかしにはできないもんな。

回りも許してはくれない。

墓じまいは、自分の責任でやるしかない。

もうこれは決意。

私の代でおわり。

 

久しぶりにみんなとの会話も楽しむ。いつまでもこの幸せが続くと思いたいのだが、人はどこかで100%死ななくてはならない。この微妙な寂しさ。

死を感じると一日一日大切なんだと思わされる。

娘はそんな事は微塵も関せず楽しそうだ。ちびっ子の若さは本当にいいね。いとこの家族も来てくれて、次世代も含めてその夜は楽しみ、ゆっくりさせてもらう。

 

落ち着いて翌朝墓参り。

 

地元にいる親類にも久しぶりの挨拶をして、村の裏山の坂を登って墓を目指す。

ばあちゃんは大丈夫かな。なんとかついては来ているが、畦道の歩く姿…。

こりゃ今後はむりだなと、悟りに入る。

墓地に着くと、何となく墓石も減ってきた感じがする。こらからの日本は人口減だもんな。

坂を登って、着いたよお父さん、おじいさんにお婆ちゃん。

私で3代目、私でごめんなさい。

 

心に浮かぶ。

亡くなっている父は歳を取らない。

未だに私の中では、若いままだ。

下の娘は初めて連れてきたよ。かわいいでしょ観音様が連れてきてくれたよ。

墓石には、南無阿弥陀仏と彫られている。

あ〜阿弥陀さまだ。

巡礼のお陰で、墓石を見る目も変わってきている。仏教知識で見えてくる。

先日、善光寺で胎内めぐりで阿弥陀さまの側までは行ってきたよ。絶対秘仏阿弥陀さんは見られないが、豪華絢爛の内陣で極楽浄土を見てきたよ。

お土産で線香もあるからね。

墓は何とかしなちゃいけないから、もうちょっと観音さまの力借りるわ。まだ、楽しく生かせてもらってなんとかするよ。

まだまだ、頑張って働かなくちゃ。

子供の成長も見たいし、欲が一杯あるからね。

悩みは多い。

ロウソクに、線香、数珠、みんな集合。

手を合わせるよ。

なまんだぶ。なまんだぶ。

 

なもあみだぶつ。

改めて、浄土真宗なんだなと思う。

南無阿弥陀仏

墓石に彫られてある。

南無阿弥陀仏

 

あ〜阿弥陀さま。

 

墓の前では自分も死ぬんだなと思うようにはなってきた。

 

死んだらどうなるんだろうか。

 

墓前でも誰も教えてもくれない。

誰もわからない。

お坊さんも本職ではあるが、説教もしないし、人間だし習えない。

大学教授だろうが眉唾回答しか出せない。

信じるものがない。

父は、あっけなく脳卒中で倒れて、そのまま何も死のことは言えないまま。他にも言いたいことはあったかもしれないが、一切語ることなく逝った。

何気ない漠然とした死への怖さかな。感じるようになってきた。

まだ、死にたくないもんな。

この歳にもなると身近に近づいて死に対して、何か…。

もの寂しさを感じる。

ここでひとつ和らげてくれる発見があった。

観音様の安心感。

三十三観音

これだけ沢山の観音様に参りしていると、心の中に入ってきた観音様の慈悲か?死に対して少し楽にしてくれている感じがする。

亡くなった後、よくわからないが一人旅立つ孤独感が薄まる。

観音巡礼のお陰かもしれない。

観音さまの慈悲深さ。

庶民の欲に対する優しさ。

先には、阿弥陀さまの極楽浄土まで連れてってもらえるような安心感。

三十三観音の廻った数ではない、その観音様の心に入った感じがそうさせる気がする。

墓石には、南無阿弥陀仏と彫られているという事でも、あ〜阿弥陀様にも救って貰えるのだろうか?

ただ、観音様が心に何もなかったことを思うと全然違う。

少し救いになる。

仏教宗派でも、浄土真宗の開祖親鸞聖人は、悪人でも救ってもらえると解いてくれている。

私になんかにはとても優しい教えだ。

ばあちゃんも頼んでおくよ。

死に対する不安感を観音様が優しく見守ってくれていることに気づかしてくれる墓参りになったかもしれない。

三十三観音巡礼これだけで十分価値があったと感じる。

誰もが迎える課題だか、答えも何もない。

そんなよくわからない人の儚い人生、死ななきゃならない微妙な気持ちにひとつの安心をもたらしてくれる。

観音さまありがとう。

 

次回は、能登七尾で生まれた天才絵師の長谷川等伯の生き抜いた戦国時代から関西(西国)へと旅は続く。

【0033観】善光寺 内々陣、お戒壇巡りの闇体験。

内陣、正面右手に進む。

内々陣の脇へ。

善光寺最強アトラクション。

戒壇巡りへ。

 

地下への入り口が開いている。

 

地下。

手すりがあり、降りられる。

既に暗そうな感じが漂ってるんだけど。

内陣最深部へ。

 

狭まい?

暗いのはわかってる。

どれくらい。

狭いの?

なにかコワい。

手すりを離すと、壁が頼りに変わる。

右手指の壁への感触だけがミチシルベ。

降りて行くと光が減って行く。

子供も怯えぎみ。

全くない見えない世界へ。

闇のアトラクション。

仏教体験。

地味ながら未知の恐怖が、

面白い。

 

ディズニーランドで、スペースマウンテンがスタートダッシュして、闇に向かって行くまでの一瞬の見えない不安までは同じ。

違うのは、そこから一気に星空が広がらない。

只々、暗闇が続く。

え〜。

見えない。

や、やばくない?

面白さは無くなってくる。

子供らついて来られるかな。

 

全くなにも見えない世界。

 

前も後ろも。

左右も。

自分の眼以外の感覚のみ。

全て失った気がする。

落ち着け。

足の裏には床がある。

手の指先には壁がある。

進まなきゃ。

 

入り口から壁伝いに降りて行き、ご本尊三尊仏の真下へと向かう。

 

真下の回廊には、ご本尊との繋がる為の、

戒壇巡りのキーワードがある。

 

「極楽のお錠前」

 

闇の中に、お錠前、じょうまえ?

錠前なので、扉とかが簡単に開かなくする為の鍵?

どんな形なのか?

大きさなのだろうか?

 

このキー。

鍵?

錠。

キーワード。

極楽のお錠前。

 

この闇の中でお錠前に触れると、

何と、極楽浄土が約束される。

極楽浄土の扉が開かられるまさしくカギなのだ。

 

亡くなった時には、阿弥陀様のお住まいに迎えて頂けるとなるとホントありがたい。

先に希望があると、現世の辛さも我慢できる。

 

内陣の欄間で二十五菩薩の来迎され、お戒壇巡りで、将来の極楽浄土が約束さらるとなれば、できるなら触りたい。

 

阿弥陀さま、

観世音菩薩さま、

勢至菩薩さま、

浄土でも繋がれますようにとは最初思ったが、

全く見えないとすぐに余裕がなくなり、

ぶつかりそうな妄想のみが頭を巡る。

暗闇を進むのに、梁(はり)に頭が打ちそうな感じがして、うつむき加減。

段々と膝が曲がってしゃがみ込む。

いやいや、落ち着け。

普通に考えて、みんなが楽しめるアトラクションだぞ。

頭をぶつけるような梁(はり)などあるわけないだろう。

ちゃんと立ちましょう。

歩きましょう。

自分に言い聞かせる。

 

目のありがたみ。

目が見えるありがたみ。

忘れてはいけないありがたみが湧いてくる。

 

目の前が全く見えなくなった記憶も湧いてきた。

日常、街に暮らしていると暗い感じはあっても闇まではない。

日本だと、どこかに光は漏れている。

夜中でも何かしら見える。

30年頃前、私が大阪に住んでいたころは、闇といえば社会にしかなかった。

深夜でも街はバブルで光輝いていた。

そんな時代に、闇夜を求めてよく奈良県の南端の紀伊山地の十津川まで、温泉行ったりキャンプにと下手すると東京出張より遥かに時間が掛かるのに、わざわざとよく遊びに行った。

 

何か神々しいから。

 

神々しさのひとつが闇夜だ。

月の無い夜は、懐中電灯を消すと、目を開けているのに全く何も見えなくなった。

ほんとそこ、30センチ先も見えない。

こんなことは普段まずない。

一歩先が何にも見えないなんて。

 

懐中電灯を消してみると。

わぉ〜。

見えない。

屋外で全く見えない。

闇とはこのこと?

手を伸ばすが何も当たらない。

進め。

手探りで歩く。

恐怖。

紀伊山地は山深く、一寸先は崖かもしれない。

山中の恐怖。

一歩進むも超ビビる。

こりゃ怖いが、不思議体験が面白かった。

ので、翌年も行った。

今度はカブトムシ取りしながら、懐中電灯を消すと、月の明かりで周りがよく見えた。

街にいると月の明かりは明るいと思ってなかった。街灯に消されていた。

お月様ってこんなに明るかったんだ。

と、二十歳も過ぎて思った。

山間部で住んでいる人などからすると笑われるかもしれないが、

 

月の明かりに感動した。

 

この神々しさのなんとも言えない気分に会うため、紀伊山地によく行った。

 

ここは、大丈夫だよ。

善光寺

信じろ。

崖はない。

進め。

頭をぶつける枝はあるわけないだろ。

自分の妄念に負けるな。

強い意識で歩け。

自分は歩けると無意識に信じているから普段歩けてるんだ。

大丈夫と信じろ。

 

やっぱ、何するにも信じるしかないよな。

 

なまんだぶ・・。

なみあみぶだぶつ、なみあみ、

南無阿弥陀仏

不思議と心で唱える。

少し落ち着く。

信じて前に進める。

進める。

生まれる時や死ぬ時もこんな感じなのだろうか?

 

闇の中は指先だのみ。

廊下が右手に曲がる。

 

だいぶ進んでこれた。

今更引き返す気にはなれない。

 

進むぞ。進め。

 

ちょっと慣れてきたかな。

パニックはない。

進め。

進め。

 

歩けるんだ。

歩けてる。

息が詰まるような圧迫感が続くが進める。

 

闇の中。

 

前から、

白い霧みたいな。

 

薄ら明るい?

 

あ、出口だ。

はぁ〜。

明るいと余裕が出てくる。

大股で歩ける。

今まで緊張していたことがよくわかる。

 

妻も子供らも出てきた。

安堵の顔だ。

あぁ〜よかったよかった。

みんな出て来られて。

無事でよかった。

ほんの数分で、日頃見ない安堵の笑顔だ。

よかったよかった。

 

何がよかったか?

とにかくよかった。

現世に戻れた。

 

戒壇巡り。

胎内めぐりとも。

生まれ変わりとも。

善光寺最大アトラクション。

 

お錠前どこにあったんだろうか?

触れなかったな。

当分、現世での修行は続きそうだ。

まだまだ生きろということか。

頑張るよ。

 

観音様これからもお願いします。

 

坂東三十三ヶ寺の御朱印帳の最後に善光寺御朱印もいただきお礼参りもこれで完了。

北向観音善光寺御朱印も並び満足度もアップ。

善光寺は、また来たい。

今度は、極楽浄土の約束がもらえるかな。

 

善光寺に次回来ることができるなら、宿坊に泊まりお朝事にも参列したい。御開帳の時や西国三十三ヶ寺のお礼参りでもまた来たいな。

観音巡礼はよく旅の楽しさを考えられてる。

善光寺が最後に持ってくるは演出かな。

巡礼楽しいね。

観音さまありがとうございました。

 

私は、まだまだ西国巡礼と続きます。

次回は、滋賀県の琵琶湖竹生島へ。

西国第三十番札所。

法厳寺へ。

信州善光寺からめちゃ離れた所ではあるが、琵琶湖に続くルートに共通点があり。

善光寺参道でもある北国街道。

善光寺から新潟県直江津までの道。

もう一つ別の場所にも北国街道がある。

同じ名称だからややこしい。

それが、福井県の今庄と滋賀県近江を結ぶ街道も北国街道と呼ばれる。

二つの北国街道がある。

次回の琵琶湖に浮かぶ竹生島法厳寺は、滋賀県の北国街道から船で向かう。

北国街道と北国街道。

その間を結ぶのが北陸街道。

この地味なルートの旅へ。

 

まずは、北国街道から父の墓がある能登へと墓参り向かってから西国に向かう。

旅はつづく。

【0032観】善光寺 本堂内陣から阿弥陀様の浄土を覗く。

本堂の親鸞聖人の松、びんずるさんの背後まで進むと、大きな柱が支える本堂の大空間を感じる。

そこから更に荘厳な仏教空間になってくる。

いゃ〜。

もちろん堂内は撮影禁止。

そりゃダメだと納得させられる重み、圧が迫ってくる。

本堂もここまで進むと、何人もゴロゴロ寝られる位の広い畳敷きに空間が現れる。

この先が本堂の内陣と言われる所だ。

赤い勾欄(こうらん)の柵で進めない。

高い天井には、菊の紋が何枚も格子状に貼られていて品格が降ってくるようだ。

観音巡礼。

お礼参りとはいえ、旅のメインと思える荘厳なラスト舞台。

ここか。

 

中に入ってみたい。

 

善光寺共通券の最後に使うのが本堂内陣券。

私は共通券だが、

本堂内陣券は:大人500円 高校生200円 小中学生50円

(本堂内陣参拝・お戒壇巡り・史料館参拝)

 

ゲートから靴を脱いで、ビニール袋に入れて畳の上に上がれる。

赤い柱が艶やかに、薄暗い堂内で黄色く光るライトに仏教装飾が静かに佇む。

天井を見上げ、堂内を見渡す。

厳、おごそか。

 

正面に向かって、

畳敷きに座ってみる。

雰囲気に圧倒されるので一旦落ち着いて、手を合わせてココロを落ち着かせる。

この正面奥に御本尊がおられるのかな。

内陣の更に奥。

赤い柱と欄間で隔てられている。

奥は神々しく明かるい。

内陣の中の内陣。

内々陣。

 

不滅の法燈

1300年灯し続ける凄みの明かりが漏れてくる。

 

私の祖母の通夜。

孫が全員集合25人も集まったまではよかった。

酒が入りどんちゃん騒ぎになり、これだけ人数いるから〜、線香と蝋燭の火守りは大丈夫、大丈夫と、ご陽気に叫び、祭壇前の畳敷きの部屋で、最後は酔潰れて雑魚寝状態。

善光寺の内陣とよく似た広い畳敷きの情景が思い出された。

ほんと雑魚。

朝には炎は消えていた。

おばあちゃん浄土に行けたかな?

だいじょうぶ、

大丈夫!

寝ぼけたまま、いけるいけると、明るく反省の色もない。

明るさの質が違う。

善光寺は、ここまで来たらもう誰も消せない。

 

こういう真似のできない積み重ねが、

神々しさなのかも。

 

その明るさに釣られて、絶対秘仏なので見えないのはわかっているものの、覗いてしまう。

阿弥陀如来のお住まいの極楽浄土?

三尊像がお住まい?

本物は誰もみたことがない絶対秘仏

 

1300年の凄い気が流れている。

見えないと余計に想像力が増してく。

わからないが、何か凄そうな感じ。

 

内陣と内々陣を隔てる欄間を見上げると、二十五菩薩が雲に乗って、豪華絢爛で迎えに来てくれる感じだ。黄金に輝いている。

ほんと来迎だ。

死ぬ時に、こんな感じに菩薩さんが迎えに来てくれてたら安心だよな。

欄間の左右にも西国三十三、坂東三十三、秩父三十四の合計の100の観音さんが埋め込まれている。

100もの観音様にも見守れながら、阿弥陀様の住む極楽浄土に連れてってもらえたら死んだあとの不安も少しはマシになるかも。

 

観音様、おばあちゃんも阿弥陀如来さまの極楽浄土へとよろしくお願いします。

 

善光寺本堂、内々陣の中へ。

 

最大アトラクション。

戒壇巡りへ。

 

つづく。

 

【0031観】善光寺 本堂外陣から溢れるパワーにびんずる尊者。

メインアトラクション巨大木造建築の善光寺本堂へ。

 

ここに、阿弥陀如来さまと左右に観世音菩薩と勢至菩薩が脇を固めた三尊仏が絶対の秘仏として祀られている。

なので善光寺の本堂たる本堂で、歴史、参拝動員どれをとっても日本仏教を代表する本堂なのだ。

全国から人を集めるパワーが溢れ溢れかえっている。

 

今回は板東三十三ヶ所巡礼満願のお礼参りが主旨なのだから、ここまで連れてきて来てくれた三十三観音さまへの感謝を忘れずにしなきゃいけないいけない。

ワクワク感で、ただの観光になりかかっている。

 

お線香の煙が広がる前には本堂の大迫力が迫る。

 

本堂に近づくに、大屋根が左右に視界にと広がり、真下まで来ると、おっおっきいな〜と子供ゴコロに帰らせてくれる。

その幅に合わせて大きな木造の階段が待っている。

一段一段大きな屋根を見ながら登って行く。

 

本堂内部がもうちょっとで見られる。

ワクワク。

階段上部から本堂内部を見ると、暗く先が見えない。

奥が深い。

なんかパワー秘めてそう。

階段上がってすぐに、内部が広いので一店舗あるかのような功徳万歳のグッズの売り場が待ち構える。

お守りも渋い柄からリラックマまで屋根のように幅広く種類も多い。

娘がリラックマの魅力に捕まる。

本堂の奥から来るとてもないパワーを受けて、買ってよと強い念力が飛んでくる。

圧の威力が強い。

リラックマお守りを買わされた。

その他にも、線香に数珠に善光寺ロゴが輝く。

グッズには、そのお寺の観光お参りポイントが表現される。

びんずる尊者も可愛くイラスト化されている。

ツルツル頭で赤い尊者。

お釈迦様の一番弟子のびんずる尊者。

大きめのお寺では、本堂の端っこに置かれ気味で、参拝者に撫で撫でさすられ、腰や頭や目の病いを治してもらおうと人気の仏像。

人気はあるが地味な存在。

善光寺では、びんずるさんは特別なのかメモ帳や各種グッズにもなっている。

ご朱印も撫仏と記帳されるメイン扱い。

 

グッズに目を奪われて、びんずる尊者を見逃していた。

なんと、本堂入りど真ん中にいらっしゃるではないか。

人の列になっている。

通称、撫仏。

でか。

デカすぎて目に入ってこなかった。

立派な台座に座られている。

病気を治せる神通力にあやかりたいのはみんな同じ。

列になって順番待ち。

今の日本では病気を治す病院薬局は人気どころ。

私達も並ばさせていただきます。

身体中に至る所、頭でしょ。顔でしょう。それは神通力で治らなくてもしょうがないとしても、膝に腰でしょ。目もそうだし、肝臓の数値も正常にして欲しい。

 

びんずるさん撫でられすぎてツルツル。

顔の彫りも消えかかってる。

順番が回ってきて、びんずるさんを撫で撫で・・・。

お父さんお腹弱いでしょ。

腰もやっときゃなきゃ。

撫でなければならないところが多い。

一人では撫で切れないので、ありがたいことに神通力を家族の手も加えて急いで急いで。

多くの人が列で待ってるからね。

やっと思いで撫で終え、気持ちも元気になり善光寺本堂の奥へ進む。

 

広い本堂も中頃に柵があり、広い畳部屋、豪華な装飾は見えるが中には進めない。

ここまでが、本堂外陣で無料で楽しめるのはココまで。

 

ここから奥は、有料アトラクション本堂内陣券が必要。

善光寺メインアトラクション。

次は、内陣お戒壇巡りへ。

【0030観】善光寺 一瞬で仏教の奥義が手に入る経蔵

山門に続いて、有料のアトラクションの経蔵(きょうぞう)へ。

名前の通り、経典を収めている蔵。仏教の教えの資料などの書物を保管する倉庫。

立派な歴史あるお寺だと経蔵を備えている。かなり立派なお寺の証でもあるかな。

 

流石、善光寺

重要文化財の経蔵をお持ちである。

拝観料は300円。

 

さらに、経蔵の中に書物を保管する本箱がなんと回転するのである。輪蔵という。

八角形の金色に輝く巨大な本箱に、腕木が施され、腕木を体ごと押して本箱を駒のように回す。早速、押してみる。

 

う、重い。

回らない。

 

もう一度、腰を入れて、う〜。

押し込む。

結構重いんだな。

動かない。

 

みんな〜押して。

 

家族総出で、腕木を押し込む。

子供は腕木で遊んでるみたいなものだが、みんなで押すよ。

 

う、動いた。

歩いて押していく。

回転。

 

ほんと輪蔵だ。

ちょっと嬉しい。

段々軽くなって回り出す。

 

一切経が納められています。

黄檗宗の鉄眼和尚が、人生かけて木版を不屈の精神で作成した逸話のある一切経

仏教の百科事典。

読み切らない6771巻なる莫大な量。

簡単には読めないよ。

日常の仕事捨てなくてはならない。

作成なんて人生かけざるえないよ。

 

その功徳が、くるりと回せば手に入ると言われている輪蔵。

我が家の家族が、輪蔵が動きだし嬉しそうにキャハキャハ喜んでいる。

すでに仏教の功徳は手に入れているようだ。

 

ディズニーランドでのメリーゴーランドは言い過ぎか?ディズニーシーより更に大人向けのアトラクションで地味ながらありがたいかも。

 

仏教を勉強もできました。

善光寺のメインアトラクションの③本堂へいきましょう。