2019年正月。
年末の京都宇治の平等院鳳凰堂から連想し、藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂から藤原氏シリーズとして、藤原氏の氏寺の興福寺に行こうと決める。
興福寺には、西国 第九番札所 南円堂もある。
西国の御朱印も書いて貰えるし。
実家のばあちゃんと我がファミリーを、車に乗せ向かう。
興福寺の歴史は古く、平等院鳳凰堂の藤原頼通から奈良時代や飛鳥時代に向かって時間をさかのぼる。目指す南円堂は、平安時代初期にかけての藤原冬嗣(ふゆつぐ)が、父の藤原内麻呂(うちまろ)の冥福を祈って、興福寺で南円堂を建立。
不空羂索観音菩薩さまを安置。
先祖を大切にしたおかげか?
その後の平安時代中期から末期にかけて、藤原の北家(藤原四家:北家、南家、式家、京家)が抜きんでて繁栄する。
それも桁違いに繁栄する。
一家立三皇后(いっかりつさんごう)を達成!!!!!!
そりゃ政治の中枢で、天皇に3人娘と嫁がせてその天皇も最後は自分の孫だからね。
今でいうと、美智子さまも雅子さまもみんな自分の娘で、自分自身は総理大臣で自民党総裁、大地主でセコム、ASLOKで警備しながら県警も持っているレベル。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」
この世は、満月みたいに欠けてるものはなにもないよ。
そこまで言わしめた繁栄を持ってきたのは、実は藤原冬嗣が興福寺に南円堂を建てらからじゃないの?観音さまのパワーを見せつける興福寺の南円堂。
凄くない?
創建時には、春日大社も藤原氏の氏神までが、南円堂に絡んでいる。
興福寺の目の前にある春日大社の春日明神も「補陀洛山の南の岸に堂建てて北の藤波今ぞ栄ゆるよ」と詠んでいる。
ここにも補陀洛山がでてきました。補陀洛山は、インドの南の観音浄土でで、八角形の山。
南円堂は八角形お堂、補陀洛山にちなんでるのか建物も気が利いている。
そりゃ藤の花も咲くはな。北家は咲き誇り栄えました。
観音さまのお堂としては、歴史から一級品で文句ないでしょう。
深い歴史。
奈良仏教から平安仏教へのターニングポイント。
藤原冬嗣と空海とのお互いの助け合いの仲良し加減もよく分かる。冬嗣の北家、空海の劇的な出世街道まっしぐら、興福寺も超える勢い。
観音さまのお力の凄さ。
興福寺は当時の首都にある最大仏教寺院のひとつ、国を治めるのも仏教の力も、呪術もパワー全開。
私もおかげさまで、出世とは関係ないんですがファミリー幸せに生かせて貰えているのは観音さまのお力か?ばあちゃんも連れてお参りまではできる。
振り返ってみると、以前、南円堂で御朱印を頂いたのは、1997年(平成9年)5月10日。もう20年位も前になるんだ。
私は、厳密にいうとこの頃までは、観音様をお参りはスタンプ押してもらう感じ。南円堂がある興福寺が法相宗の大本山でこの基本となる唯識哲学にはまっているというか。はまるまではないにしても、これほど凄い考えかたというか理屈、理論というか体型というか、深みにはまりかかけていて、気持ちは、どちらかと言えば観音さまというより法相宗唯識哲学の総本山に行くんだと唯識熱で気合いが入っていた気がします。
ただ在るのは公園みたいなものだが、心の眼で唯識哲学の南円堂を見ていた。
その間にも何度か大仏殿や春日大社や周辺の奈良町には行ったりはしたが、改めて今、南円堂に向かう。今は、子供に奈良の鹿に触れさせるのと、観音さまへの感謝の気持ちで、変な力みが無くなり気楽なっている気がした。
奈良仏教へ。