必死に目指した山門の門。
門をくぐると・・・。
御朱印を貰うお堂がない。
あるのは、まだまだ続く山道だけである。
はあ〜。
まだ先?
全速力で走った為、完全に息があがった。
ハァハァ・・・。
呼吸困難。
ゴールとおもって、ゴールで無いことの精神的ダメージ。
一歩も足が前に出ない。
気を取り直すも、走れない。
ここからが、一歩一歩が全力に。
十歩歩いてしゃがみ込むありさま。
もうだめかも。
やっと下りてくる人に情報を求めると、
「にいちゃん、まだまだこれからやよ」
絶望感。
ばあちゃんに約束したし、行けるだけ行くと決意も。
十歩歩いてしゃがみ込む。
息があがるとこんなに走れないものか。呼吸は大切。ペース配分も大切。
色々と、仏様からの教えが来る。
山岳修行。
修行する気も無いのに修行にはまる。
前を見上げると、先が見えない。
階段が続く・・。
心が折れそうになる。
信心しか進めない。
十歩歩いてしゃがみ込むでいると・・・・。
おお!!
下からばあちゃんが一歩一歩と進んでくる。
仏様か?
負けてられないが、息があがって進めない。
もう最後の気力を振り絞って登る。
あ、ばあちゃんが来た!
抜かされる。
ウサギとカメとはこのことか。
ばあちゃんの足も震えているが、必死の形相で一歩一歩確実に進んでいく。
さすが辛抱の神様。
修行に強い。
息を整えること無く、山頂が見えてきた。
もう、必死過ぎて記憶が無い。
お堂の門もすべて閉まっている。わずかに右端の門が開いて人が出てきた。
すみません!
御朱印まだ記帳して頂けます?
平成7年6月4日
順番が逆だが、賽銭を入れ観音さまにお参り。無心。
ありがたや。
お寺の開けた所から景色が見られる。
大阪の山々が繫がっているのだろうか。
とても良い景色だ。
こんな景色を見るとは予想もしていなかった。
何に導かれているのか。
1995年のこの日から、観音さま巡りが始まる。
今となっては、この槙尾山のインパクトがなかったら続かなかったかもしれないとふと思う。
それにしても、ばあちゃん凄いな。
よく登れたよ。
孫を思う気持ちと観音さまのご慈悲の合体は強力なものを見せて貰った。
後になって、「槙尾山は、西国巡礼の難関の一つなのよ」と、
親戚のおばちゃんに教えて貰う。
難所には、縁を結ぶというよさがありますね。共に登った経験はみんなと心が一つになれる。
あそこ登ったの・・・。
西国巡礼で親戚のおばちゃんも施福寺の参道になると話に力が入る。
強い縁を結ぶ。
なにも知らなかったことが、今となってはよき思い出になったかも。
当時、インターネットも初期の初期。パソコン通信、懐かしいニフティサーブ等のレベルである。道中の情報があふれていることはない。
それでも、当時にも参考にできる本もあり地図もあり何の問題もなく行けました。
でも例えば江戸時代とかはどうしていたんだろうか。
創建1300年、みんなどうしてたんだろうか。
巡礼の楽しさはその年代毎に色々あったのだろう。
今は、情報がありそれはそれで凄く楽しめる環境がある。車でも行きやすくなっている。
おかげさまで、そのときの姪っ子は何の問題も無く元気に成人している。
いつの時も、生きてるこの瞬間は必死で良いも悪いも分からないが、20年経って、振り返って分かることもある。すべてとはいわないが、観音さまのご慈悲は間違いなくある。目に見えないが、生きるヒントがあることは間違いないと思えるようになった。
情報が溢れる今であっても振れずに残れる仏教の凄さも感じるようにもなった。
情報があればあるほど、取捨選択が難しい。
植木を剪定するのも難しい。
誤ってすると枯らしてしまう。
情報を剪定するのは、情報が氾濫するほど難しい。しかし、その選択指針が論理が仏法には書かれている。
この観音さまも「法華経」に説かれている。
情報がないとき、情報が氾濫しようとも、どの時代でも観音さまのありがたさも変化しながら続いていくのではないだろうか。
これからの時代も仏教を少しでも知ると更に観音巡りも楽しくなる。
これからは、観音さまだけでなく様々な仏様へ。