■西国 粉河寺 巡礼 第1話-⑤
2018年度も、数ヶ月経ちふと思う。
このふと思うこと、
このふと思うことはなにかある。
きっとなにかある。
このふと、何かの閃きかお知らせか?
このふと、湧いてきたことを私は大切に思っている。
ふとも思った。
「粉河寺」・・・。
粉河寺?
お正月に参った粉河寺で眼の効能が気になって。
粉河寺のホームページを開いてみるが、眼病は特別扱いがない。
↓
確かに、
本堂までの境内にもなんの案内もなかったよな。
23年前の必死のお参りはどうなってんだ。
納得できず、ネットで調べる。
薬師堂で公開された本尊は、平安時代後期のものとされる薬師如来座
像(高さ約57センチ)。眼病平癒に御利益があると伝えられ、紀の
川流域で特に厚く信仰されているという
これだ。
眼病には、この仏さまだ。
薬師如来座像。
↓
あれれ。
23年前にお参りしていたのは、千手千眼観世音菩薩さまだ。
今の今まで、勘違いしていた。
西国三十三ヶ所の1300年記念に、それもご本尊でなく、ご開帳もこの薬師如来さま。
粉河寺の境内の地図をよくよく見ると
↓
汚くすみません。
私が行った赤い線をたどってもらうと、大門から曲がって中門そして粉河寺庭園へ
そして、本堂で拝んで、納経所でUターン。
どこにもそんな薬師如来さまなんてない。
薬師如来さまがどこにあるのかと探すと、あった奥に。
右上の赤丸。
薬師堂。
知らなかったよ。
ここが、眼病平癒のお参りするところだったのか。
・・・・・。
これで分かると思いますが、観音さまはどう私を見ていたのでしょうか。
・かわいそうな子
・あほな子
・不憫な子
と思われていたかもしれません。
が、なんと、慈悲深いのでしょうか。
この懐の深い慈悲にあやかりたいのか、世の中は変われど人のココロはさほど代わっていないのからか、観音霊場が1300年続いている理由のひとつかもしれません。
1300年前って簡単に言えるけれど。
結構長いよ〜。
1300年時代を戻ると、西暦718年(養老二年)。
奈良時代。
平城京の時代。
遣唐使。
日本書紀も720年に完成しているので、どこまで本当かもよく分からない伝説の時代といってもいい。
そのから途切れず続いてきた観音さまの巡礼。
姪っ子の眼病平癒していただいたのは、本当のところは、薬師如来さまかも分かりません。だだ、観音さまをその後も巡礼させ続けてもらったことで助けられているのだろうとは思います。
どんな形で現れるか分からない観音さま。
いま、あたなの前にいる人が実は観音さまの化身かもしれません。
古いですね。
もう、伝説でしかありません。
草創に関して、国宝「紙本着色粉河縁起」に童男さんの物語が残っています。
西国草創1300年の記念スタンプには童男さんが押印されます。
童男さんのお話は伝説ですね。
こういうところがまた、この西国巡礼にはありいいんですね〜。
もう少し、伝説の童男さんより観音さまを考えるへつづく。
■西国 粉河寺 巡礼 第1話-⑥