■医者も腕組み。それを俺に頼まれては神頼みしかない。
まだ、どこから書いたら良いのか、しっくりこないまま書き出す。
ここ最近、20代、30代、40代をブログで整理することで、新しい50代の自分が見つけられないものかと思う。ここまで何とか運良く生活してこられたことは、自分の力だけではないと感じる瞬間が年々増えてきた。
誤解なく伝えられるか自信がないが、神様仏様の手助けとしか思えない出来事が目の前で何度となく起きてきた。
目に見えないサポート。
本当に凄いんだ神様仏様は!
感謝の気持ちで、当時のことを思い出しながら書き進めたい。ドラマチックな人生でなくとも神様仏様と繋がっていることがわかれば、誰しも幸せになれると思います。
その繋がりに気づくきっかけとなった、観音さまの話から始めたいと思います。
西国三十三ヶ所、いつから御朱印を集めるようになったのだろうか。
場所のスタートは、「第三番 粉河寺」と分かっていたものの、
観音めぐり自体を始めた時期がはっきりしない。
今日このブログ記事を書いているのが2018年10月8日。
昨日、ようやくその日時がハッキリ分かりました。
実家に帰って御朱印帳を開いてみると、平成7年6月4日。
御朱印帳は必ず訪ねた日付を書いてくれる。しかも墨でしっかりと記録されていました。
1995年 (23年前)
1995年の話題の出来事として軽いところではドリカムの「LOVE LOVE LOVE」がオリコンチャート1位。
この年に漢検の今年の漢字が始まり、その漢字からも重い年と分かります。
「震」
阪神・淡路大震災がこの年の1月17日。
我が家では、この年の3月に姪っ子誕生。
ただ、早産&色々あり緊急出産。とうてい入院中の病院では対応できず救急車で運ばれる緊急転院。私もかり出され、ただ流されるままにバタバタと慌て追いかける。
生まれた姪っ子の体重は、700g・・・。
この年の漢字と同じで、おじさんになる私もさすがに震えますよ。普通2,500g〜4,000gでしょ。
700gって・・・。
更に、大きな地震の後で気が落ち着いていない私のおかん。その「不安だらけ」の脳はさらにパニック状態。
ここは、誰かがしっかりしなければ。
700gの姪っ子は、特別なセンターで緊急対応していただいたおかげで、なんとか命もつながり保育器へ。
安心したのもつかの間、未熟児網膜症の恐れがあると医師から言われ、不安は続く。
おかんが息子の私に、「にいちゃんどうしよう、目が見えなくなったら・・・。」
オロオロモードは更に追い打ち。
俺に言ったって、保育器入ってるし。なんもできへん。
おかん(生まれた姪っ子からみたら、ばーちゃん)が、心配、心配、あわあわ、そわそわと、どうにもならない。生まれたての姪っ子でなく、まずこのおかんを止めなければ。
こんな時、理屈で考えると良いイメージが描けないのはわからなくはないが。
とにかく悪い想像ばかりしていて
どうにもならない。
専門の病院で治療はしているわけだし、あとはとにかく祈るだけだ。
私にできることはほとんど無いが、おかんのマイナス思考を止めることぐらいは出来るか。
眼に良い仏さんがどこかにないかと、当時の記憶はハッキリしないが、なぜか見たことも聞いたことも無い「粉河寺」の名が浮かび、あまり深く考えず、おかんを車に乗せ連れて行った。これでちょっとは落ち着くか。
この手(仏頼み)でいこう。
おかんにとって小さな頃から心配の種である俺が、どんなに正しいことを言おうが効力が無い。更に不安を煽るだけ。仏さんにお参りしたらおかんもなんとかなるか。これでとにかく落ち着かせよう。
超未熟児で生まれた姪っ子も、今年で23歳。
この時の事は、もちろん本人の記憶には残っていないようだが、元気に育って無事に成人しています。
観音さまの力なのか。
証明しようもないが、観音さまの願いを叶えてくれるチカラは間違いなくある。
自分の中ではそうとしか思えなくなってきました。
先生や看護師さん、親の願いや祈りによるものももちろんあるでしょうが、目には見えない観音さまの手助けもやはりあったのではないだろうか。
観音さまへの感謝の気持ちで振り返ってみます。
当時も今も、常に必死に生きてるだけなので前に進むしかなく、判断に余裕もない。
しかし、20年以上観音さまをお参りしていると、少しは落ち着いて振り返れるようになってきました。
色々と事実を整理して、ブログで感謝を綴りたいと思います。
次回、西国 第三番 札所 「粉河寺」から。